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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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エビの偽装より重大な「エビデンス偽装」

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 近藤誠さんの主張を受け止めるにあたって、前回は、「エビデンスに基づく医療(EBM)」のルールが大事だと書きました。EBMについては、この連載でも何度か取り上げてきましたが、まだ、イメージしにくいと思われる方が多いかもしれません。

 エビデンスというのは、過去に行われた臨床研究の結果であり、医療に関する情報を読み取るときには、「モノサシ」となり、治療方針を話し合う際には、「共通言語」となる、大事な道具です。

 「エビデンスの格付け」(2013年6月13日付)では、エビデンスの信頼度を、ミシュラインガイドの星の数になぞらえて説明しました。


ルールを知れば「偽装」がわかる

 EBMは、医療界では、「基本的なルール」として浸透しているのですが、必ずしも、世の中一般に広まっている概念ではありません。でも、患者さんが医療の主役であり、EBMが、患者さんにとって最適な医療を受けるために生み出されたものであることを考えれば、患者さん自身が、EBMのルールを理解し、エビデンスを共通言語として操ることは、とても有益なことだと思います。

 そういうルールがあることだけでも知っておけば、医療者の話も理解しやすいでしょうし、わからないことも質問しやすくなるでしょう。また、世の中にあふれる情報を冷静に受け止められるようになり、誤った情報に心乱されることも少なくなるでしょう。

 今回、近藤さんの本を読んでみて、それを強く感じました。EBMのルールを知っていれば、近藤さんの主張のうち、エビデンスに沿って説明している部分と、EBMのルールから外れている部分を、ある程度見分けられるようになり、より冷静に、その主張を受け止められるはずです。

 近藤さんは、エビデンスを斬新に解釈することが多く、それが核心をついていることもあるのですが、あまりに思いが強いので、自分の主張と合わないエビデンスがあると、それをゆがめて解釈してしまうことがあるようです。

 抗がん剤によって命を縮めてしまう場合がある、というのは、その通りですし、近藤さんが「がん放置療法」と言うように、抗がん剤治療をしないで様子をみた方が長生きできる場合があるのも確かです。でも、すべての場面で、すべての人に、「がん放置療法」を勧める、というのは、エビデンスに基づく主張とは言えません。


近藤さんの「偽装」手法

 「がん放置療法のすすめ」(文春新書)には、進行肺がんの、「治療しないで様子を見た場合の予想生存曲線」が示されていて、1年後の生存率は100%となっています。「抗がん剤を受けたりしなければ、すぐに死ぬことはない」という、近藤さんの思い込みを表したグラフなのですが、いけないのは、この曲線を、抗がん剤の臨床試験で示された生存曲線と比較していることです。

 進行肺がんでは、抗がん剤を行ったとしても、1年以内に亡くなる方が多いのが現実で、近藤さんの思い込みに基づく「がん放置療法の生存曲線」よりも、成績が悪く見えます。近藤さんは、これを根拠に、「抗がん剤は寿命を縮めるだけ」だと結論しているのですが、「思い込み」と「現実」を比較するのは、科学的とは言えません。

 近藤さんは、このような手法を使って、しばしば、エビデンスを「偽装」します。上記の例は、あまりに露骨なので、「偽装」に気づく人も多いと思うのですが、近藤さんの本には、より巧妙な「偽装」も仕込まれているので、注意が必要です。

 医療の現実を知らないがゆえの「誤表示」なのか、自分の主張を通すための、意図的な「偽装」なのかはわかりませんが、いずれにしても、EBMのルールに違反しているのは確かです。

 近藤さんは、抗がん剤の延命効果を示した臨床試験については、「腫瘍内科医が『生存曲線』に人為的操作を加えているので、信頼できない」と主張するわけですが、自分が加える「人為的操作」には無頓着なようです。


食品偽装とマスメディア

 最近、「食品偽装」が社会問題になっています。バナメイエビを「芝エビ」と表示したり、ブラックタイガーを「車エビ」と表示したり、ロブスターを「伊勢エビ」と表示したり、いろんな話が出てきます。

 でも、「エビ」の偽装には、これだけ関心が集まるのに、「エビデンス」の偽装については、マスメディアも、国民も、あまり気にしていないようです。

 「エビデンス」は、患者さんの人生を左右するような意思決定の根拠となるものですので、それを偽装するというのは、「エビ」の偽装よりもずっと重大なことですが、「エビ」ほどには実感を持てないということでしょうか。

 エビデンスの偽装をすべて見抜くのは難しいですが、「エビデンスの偽装はやってはいけない」という、EBMのルールがあることを知っているだけでも、状況は変わるはずです。

 食品偽装の場合も、私たちは、ほとんど見抜けていなかったわけですが、「食品偽装はよくない」というルールが、多くの人に共有されていたので、マスメディアの報道に社会全体が反応しました。

 マスメディアが、本気を出せば、「エビデンスの偽装」を見抜いて、その事実を人々に知らせることは可能なはずです。

 でも、マスメディアは、「エビデンスの偽装」に気づいていたとしても、それを黙認し、近藤さんのような、センセーショナルな主張を、そのまま取り上げてきました。

 また、近藤さんとは別の話ですが、免疫療法など、エビデンスの確立していない開発段階の治療が、あたかも、有効性が確認された画期的な治療法であるかのように偽装されて、センセーショナルに報道されることも、日常茶飯事です。

 マスメディアでは、「EBMのルール」よりも、「センセーショナリズム」が優先されるため、「エビデンスの偽装」にはこだわらない方が得策だと判断しているのでしょう。


患者さんを守るEBM

 「食品偽装を知らなくても、高級食材だと思っておいしく食べられたのだから、それでいいのでは」という意見と同様に、「エビデンスの偽装を知らなくても、近藤さんの本やマスメディアの報道をみて、納得して治療方針を決めたのだから、それでいいのでは」という意見もあるかもしれません。

 でも、偽装エビデンスを信じたせいで、受けた方がよい治療を受けず、苦しんで亡くなる人がいたり、効果のない治療にすがって、高額のお金をつぎこんでしまったり、という患者さんの姿を見ている立場からすると、そういう意見には、あまり賛同できません。私自身は、患者さんを守るためにも、EBMのルールが、もっと広まった方がよいと思っています。

 近藤さんのように、「抗がん剤はやらない方がよい」という意見を主張する医者がいること自体は、とても貴重なことです。私自身も、患者さんの状況によっては、同じような意見を、患者さんに説明することがあります。

 でも、エビデンスを偽装し、3つ星エビデンスに基づいているかのように装って、「抗がん剤はすべて有害無益である」という主張をするのは、ルール違反です。そういう意見は、3つ星ではなく、「星なし」の、個人的な思いとして語るべきです。

 本物の「芝エビ」よりも、「バナメイエビ」の方が、プリプリしていて、エビチリに合っている、なんていう声も聞こえてきますし、多様な意見や価値観があるのは、自然なことです。

 医者の間にもいろんな意見があることを知った上で、患者さん一人ひとりが、自分の問題として、医療に取り組むことが何より重要だと思います。

 近藤さんは、EBMのルールの中で議論したいのなら、そのルールを守るべきですし、EBMのルールがおかしい、と主張したいのであれば、エビデンスを偽装したりせず、堂々と、EBMの問題点を議論すればよいのです。


血圧を下げる薬のエビデンス偽装

 臨床試験を行い、エビデンスを作る際には、「人為的操作」や「思い込み」の影響が入らないように、最大限の配慮をしなければなりません。そこに疑いの余地があれば、エビデンスの信頼性の根幹にかかわるからです。

 「人為的操作」や「思い込み」の影響が最も入りにくい臨床試験の形が、「ランダム化比較試験」です。「3つ星エビデンス」と言えるのは、質の高い「ランダム化比較試験」の結果だけです。

 レストランが3つ星を獲得するのと同じくらい、3つ星エビデンスを作るのは大変なことですが、これまで、世界中の多くの患者さんのご協力を得て、3つ星エビデンスが積み重ねられ、医学が進歩してきました。

 残念なことに、最近、血圧を下げる薬の臨床試験で、人為的操作(エビデンスの偽装)が発覚し、マスメディアでも大きく報道されました。これは、EBMのルールの根幹にかかわる重大な背信行為であり、医療界では、厳しい対応が取られました。

 3つ星レストランのメニューが、ほとんど偽装表示だったとしたら、そのレストランは、星を失い、信頼を取り戻すのは難しいでしょう。同様に、3つ星エビデンスを偽装するような研究者がいたら、その研究者が、医療界で生きていくのは難しいでしょう。

 そんな医療界に身を置いている立場からすると、マスメディアで、「エビデンスの偽装」が野放しになっていることは、もどかしく感じます。


EBMのルールを広めよう

 今回、私が最も言いたかったのは、EBMのルールがもっと広まった方が、エビデンスの偽装も少なくなり、より生産的な議論ができるようになるのではないか、ということです。

 多様な意見があるのはいいことですが、エビデンス自体は、ルールに基づいて受け止め、それを共通言語とした上で、議論するべきだと思います。

 世の中には、いろいろなレストランがあり、エビ(エビデンス)にもいろんな種類がありますが、ミシュランガイドの星の数(エビデンスレベル)や、エビの名前も参考にしながら、皆さんも、じっくりと、エビ料理を吟味してみてください。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)
腫瘍内科医。東京生まれの神奈川育ち。1998年東京大学医学部卒。2010年より虎の門病院臨床腫瘍科部長。国立がん研究センター中央病院、東京共済病院などで、抗がん剤治療を専門に手がけてきた。がん薬物療法専門医会代表も務める。

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