専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話
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私が緩和ケア医になった理由
「なんで緩和ケアを専門に選ばれたんですか?」
しばしば聞かれます。
後期研修医を終わってすぐに緩和ケアの門を
せん妄に苦しむ姿…できることはなかったか?
私が研修医1年目の時。お世話になった指導医の先生と肝臓がんの末期の70代の患者さんを診療しました。
彼は最後の1週間、とても強いせん妄となり、苦しみました。せん妄とは意識が変容し、時間や場所、人の認識があやふやになったり、興奮などもしたりする病態で、終末期がんの患者さんには3~4割出現すると言われています。
彼は何度も何度も自分の腕をベッドの柵に打ち付けました。
指導医の先生の指示でハロペリドールという薬剤が投与されました。せん妄を抑える薬剤です。しかしそれでも彼のせん妄は収まりませんでした。
身の置き所がないように頭を振り身体をよじらせ、壁に、柵に、手や足をぶつけました。時折うめき声をあげます。隣にずっといた奥さんが静かに、悲しみを
「先生、もうできることはないんですよね…」
「使える薬剤は…使っています。すみません」
「いいんです。先生。でも、悲しいですね…」
奥さんは最初泣き、嘆き、肩を落とし、そして絶望していました。表情はなく、ご主人の変わり 果てた姿を見つめていました。
本当にできることはなかったのでしょうか?
今では自信をもって「ある」と言えます。いずれ連載でお話ししたいと思いますが、このような場合は鎮静薬でうとうとと眠って頂いて苦痛を取る「鎮静」を行えば良いのです。もちろん命は縮めません。しかし終末期の「鎮静」に熟達した医師は多くありません。しかも私は「鎮静」があることすら知りませんでした。
できることはなかったのではない。知らなかっただけだったのです。そしてできなかっただけなのです。
「先生、助けてください!」亡くなる前日、必死で腕さすり…
別の70代の肝臓がんの末期の患者さんの話です。
亡くなる前日が、多くの患者さんにとって一番苦しい山場となります。そこを越えれば自然に意識が落ちて、苦しみから解放されるのです。
彼はそれまで苦しいと一度も言ったことがありませんでした。お
そんな彼がある日、大声で助けを求めました。
「先生、助けてください!」
吐血も始まっていました。最後の苦しみだと思われました。
私は当直をしていましたが、すぐに上の先生に電話をしました。しかしやはりできることはない、というお話でした。
私は点滴を追加しながら、何もできない無力感のまま、必死で彼の腕をさすりました。
「大丈夫ですからね。この点滴できっと楽になります。大丈夫ですよ」
笑顔で言いました。ずっと診てきた患者さんです。もう長くないのはわかっています。しかし医師としてここは絶対に安心してもらわねばならない。そう思って、一生懸命に顔の筋肉を引っ張って笑いました。そしてさすり続けました。
どれくらいの時間が
「先生…ありがとう」
涙がツーッと彼の頬をつたいました。
「楽になりましたか?」
彼はじっと私を見て言いました。
「先生…ありがとう」
楽になったかどうかは答えず、彼は「ありがとう」を繰り返しました。
そして彼は、うとうととまどろみに入り、翌日亡くなりました。
医師が最後までできること
私は「鎮静」を知りませんでした。この患者さんにも必要なのは鎮静でした。
ただ必死で彼の腕をさすりました。奥さんが左腕を、私が右腕を、既に冷たくなったそれを少しでも温めようとさすり続けました。
彼の死後、息子さんから「おやじは、若い医者に私の身体を使って勉強してほしい」と言っていたと聞きました。確かに彼の身体の苦痛を取り除くことはできませんでしたが、私も含めて若い医療スタッフたちの姿に、彼は満足もしているようでした。
◇
「なにもできない」「だから緩和ケア」
とんでもありません。
「最後までできることがきっとある」「薬だって苦しみを和らげるものがいくらだってある」
「薬が使えなくなっても、さすることも声をかけることも、そばにいることだってできる」
できることはたくさんある。それを知って、多くの方に伝えたいと思ったから、私は緩和ケアの道に進んだのです。
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