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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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ある胃がん患者の生き様

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 順調にキャリアを重ねてきたUさん(女性)は、59歳のとき、貧血がきっかけで、胃がんと診断されました。

 胃の病変からは少しずつ出血があり、周囲にはリンパ節転移もありましたが、手術と、術後の抗がん剤治療によって、根治(完全に治ること)を期待できる状況でした。最初にかかった病院の医師は、手術と抗がん剤治療を勧めましたが、Uさんは、それを強く拒否しました。

 Uさんは、次のような信念を持っていました。

 「がんになっても、自然に、穏やかに、過ごしたい」
 「正常な細胞も傷つけるような、抗がん剤治療や手術は受けたくない」


手術や抗がん剤治療を拒否

 Uさんは、治療を拒否したあと、その病院にはかからず、民間療法などを受けていましたが、体調は徐々に悪化していきました。貧血も進行し、緊急入院で輸血を受けることもありましたが、結局、1か所の病院で継続して治療を受けることはなく、いくつかの医療機関を転々としていました。

 私の診察室に来られたのは、診断から約8か月後のことでした。

 検査の結果、病気は、診断時よりも明らかに進行していましたが、はっきりとした遠隔転移はなく、今から手術をすれば、根治の可能性もあるし、仮に根治ができなくとも、出血などの症状を抑えて、全身状態の改善が期待できると説明しました。ただ、本人の信念は固いものでした。

 「手術や抗がん剤で、命の長さが延びるとしても、つらい治療は絶対に受けません」

 私は、Uさんの思いに耳を傾けつつ、治療は、つらい思いをさせるためにやるわけではなく、むしろ、つらい症状を和らげ、できるだけいい状態を保つことを目的に行うものであることなどを説明しました。

 最初のうちは、Uさんも、私も、身構えていた感じでしたが、お互いに、だんだんと本音をぶつけあうようになり、私の説明にも、少しずつ理解を示してくれるようになりました。がんという病気との向き合い方、治療の考え方から、死生観へと話題は広がりました。


「どう生きたいのか」が大事

 私は、Uさんにいくつか約束をしました。

  • Uさんの価値観はきちんと尊重する
  • 最期まできちんと緩和ケアを行う
  • 厳しい状況を迎えた場合には、できるだけ穏やかに看取みと
  • つらい治療を押し付けることはしない
  • だから、私のところへ通うのをやめたりしないでほしい


 その後、Uさんは、定期的に私の外来に通うようになりました。

 しばらくして、Uさんは食事をとっても嘔吐おうとしてしまい、ほとんど食べられない状態になりました。胃がんの進行により、食べ物が胃から腸へとスムーズに流れなくなってしまったのです。

 Uさんは、それでも、「つらい治療」は受けたくないと言いました。

 私は、こう説明しました。

 「『手術は受けない』とか、『抗がん剤治療は受けない』とか、そういうことを先に決めるのではなく、『どのように生きたいのか』、『何を目指して治療するのか』というところから考え、その目標にかなった治療を、柔軟に選んだらどうですか」
 「これからの時間を穏やかに過ごしたいのであれば、抗がん剤を使って、がんの勢いを抑えるのがいいと思います」
 「つらい思いをするために抗がん剤を使うのではなく、つらい症状を取り除き、Uさんらしい生き方を貫くために、抗がん剤を使ってみたらどうですか」


 いくつかの選択肢を話し合った末に、Uさんは、抗がん剤治療を受けることを決めました。使う抗がん剤については、エビデンスと本人の価値観に基づいて選択しました。

 外来で1か月間行った抗がん剤治療がよく効いて、Uさんは、再び食事をとれるようになり、貧血も改善して、だいぶ元気になりました。「絶好調です」と、以前と同じ笑顔も見せてくれました。

 でも、元気になってみると、Uさんは、再び、「抗がん剤はやりたくない」と言うようになりました。

 「抗がん剤がよく効いて、元気になったのは確かですが、やっぱり、抗がん剤で自分の体がむしばまれている感じは否めません。次に食べられなくなったら、そのときが寿命だと思って、もう、抗がん剤治療は受けません」


 Uさんの決意は固く、その後は、抗がん剤治療は受けることなく、外来で緩和ケアのみ行うことになりました。

 そして、私がUさんとお会いしてから7か月後、Uさんは、食事がとれなくなり、全身衰弱が進んで、別の病院に救急搬送され、亡くなりました。


増える抗がん剤拒否 その背景は?

 手術を受けるように、あるいは、抗がん剤を続けるように、もっと強く説得したほうがよかったのかもしれませんが、そうしていたら、Uさんは、私の診察室には来なくなっていたでしょう。

 今でも、すっきりしない気持ちはありますが、これが、Uさんの「生き様」だったということなのだと思います。自分の信念を貫き、自分の価値観に沿って生き抜いたわけですので、それについて、医療者がとやかく言うべきものではないのかもしれません。

 医療者として、正しい姿勢であったという自信はありませんが、Uさんの「生き様」の最期の一部分を、そっと支えることができたのは、貴重な経験でした。

 Uさんのように、自分の信念に基づいて治療方針を選択する方は増えています。基本的に、そういう信念や価値観は尊重されるべきもので、医療者側の価値観を押し付けるべきではないと思っています。

 ただ、その信念が、誤ったイメージや、偏った意見や、恣意しい的な情報に基づいている場合には、どうしたらよいものでしょうか? 「誤っている」とか「偏っている」とか「恣意的である」とかいう判断自体が、医療者側の価値観に偏っているというご批判もあるかもしれませんが、そういうことも含めて、思い悩む毎日です。

 最近、特に気になるのは、「抗がん剤治療は絶対受けません」と言う患者さんが増えていることです。この風潮の背景には、ある一人の医師の主張があるようです。

 次回からは、「抗がん剤は効かない」「がん放置療法のすすめ」「医者に殺されない47の心得」などの本を出して物議を醸している近藤誠さんの主張を取り上げ、その問題点を指摘しつつ、多くの患者さんがそういう主張にかれてしまう理由などを考えてみたいと思います。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)
腫瘍内科医。東京生まれの神奈川育ち。1998年東京大学医学部卒。2010年より虎の門病院臨床腫瘍科部長。国立がん研究センター中央病院、東京共済病院などで、抗がん剤治療を専門に手がけてきた。がん薬物療法専門医会代表も務める。

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