専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話
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闘病だけで終わらないことが大事
30代後半のAさんは、非常に進行した胃がんの患者さんでした。
大変熱心な患者さんで抗がん剤のことも徹底的に調べて、もはや有効な抗がん剤がないと考えられる状況になっても、主治医の先生にこの抗がん剤はどうですか? あの未認可の薬剤はどうですか? と尋ねて、実際に一部望む通りの治療を受けていたようです。
そんな彼もいよいよ病気が進行し、末期の状況となりました。私たち緩和医療科の医師が関わるようになっても、彼は「緩和医療で良くなって、さらに抗がん剤をやるんだ」と言いました。私たちは緩和医療をしてもそれはなかなか難しいだろうと伝えましたが、彼はそれを聞こえていないかのように振る舞いました。
彼には奥さんとまだ小さいお子さんがいらっしゃいました。はためにも状態が悪いことはわかります。奥さんは今後のことも色々と考えなければいけないね、とやんわりと治療と併行して「やるべきこと」や「やらなければいけないこと」を一緒に考えようと促しました。
しかし彼の言葉はこうでした。「絶対に治る。なぜそんなことを言うんだ!?」。怒気をはらんだ目でした。身体の苦痛も出ていました。ようやく緩和医療を受けようとしたのも、痛みや身体のだるさ、食欲不振などの苦痛症状がとても強くなったからでした。がんが非常に進行していたのです。
お子さんが「お父さん」とにこにこして近寄ると、「お前はあっちへ行ってろ!」とそれを拒絶しました。身体の苦痛が強かったことと、絶対に治ると信じていたのにそれが少しずつ難しくなって追い詰められていく状況に精神的にも追いつめられていたからです。お子さんは険しい声にびっくりして奥さんの背中に隠れるのでした。
緩和医療科に依頼が来たのは死の1週間ほど前でした。先に述べたように、その状況でも彼はまだ抗がん剤治療を行うことを希望し、緩和医療で全身の状態を改善することをも望んでいました。
皆さんが彼と同じ立場だったらどうしますか? 確かに治りたい、まだ若い、気持ちはとてもよくわかります。
彼の急変
そんなある日、彼は急変しました。状態は急激に悪化し、終末期に出現するせん妄(意識が変化し、言動に異常が出る状態)となってしまい、身の置き所がない様態で苦しみました。
症状は薬剤の使用で緩和されましたが、彼はせん妄状態から戻ることなく、翌日お亡くなりになりました。
私たちに忘れられなかったのは、奥さんが死の床で叫ぶようにおっしゃっていた言葉です。
「子供に何か声をかけてあげてください! 子供に何も言わないで逝くんですか!」
お子さんを遠ざけて、ひたすら治すことを希求した最期でした。
しかし当然のことながら、奥さんのつらさは甚大でしたでしょうし、お子さんの将来にとっても、「お前はあっちへ行ってろ!」と伝えたことが傷となって残るのではないかと危惧されました。関わったのは一週間あまり、私たちも時間がなく、確かに痛みなどは少々緩和されましたができることは少なかったです。
残される家族と、ほんの少しだけでも…
こういう話をすると、少数ながら、「それは本人にとって本望だったのではないか」とおっしゃる方がいます。それは確かに、そうかもしれません。誰もがまだ30代後半で死ぬことを受け止めるのは困難です。何としてでも生きたいと思うのが通常の気持ちです。したがってその思いに殉じたという考えもあるかもしれません。
けれども彼が治すことに一生懸命になるのと同時に、ほんの少しだけでも、もしもの時に備えて、奥さんと一緒の時間を過ごしたり、お子さんときちんと触れ合う時間が取れたりしたら、どうだったでしょうか?
私たちの命は誰かとつながっています。けっして一人なのではありません。誰かが亡くなっても、私たちはその誰かの思い出とともに生きます。良い思い出は、将来には力を与えてくれもします。誰かの死はけっして一人の死ではないのです。もしAさんがほんの少しだけでも2つの気持ちを「併用」してくれたら、奥さんやお子さんの未来も異なったものではないかと思えてなりません。
治りたい気持ちは大切です。けれどもそれと同時に、来るべき可能性に備えて準備する、あるいは治療以外に自分が大切にしていること
一生懸命に治療を行っている方に、「治療が思わしくない場合も一応は念頭において、やるべきことや、やらなければいけないことをすると良い」と伝えると、中には「絶対に治る気でやっているのになぜそういうことを言うのだ」「治療は大変で他のことを考える余裕なんてありません」「治すのに必死なのに冷たいことを言って水を差さないでほしい」とそう考える方もいるかもしれません。しかし心ある治療医がそれを内心つらい思いをしながら伝えるのは、Aさんと同じような治療のみに
次回以降、緩和ケアの話をしていきますが、この「治療とそれ以外の両立」こそ、「病気を治す治療」と「質に考慮した医療、人生」の両立でもあり、治療と緩和ケアを並行して為すということなのです。
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