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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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不毛な議論から生産的な議論へ

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 2004年、イレッサの副作用(間質性肺炎)により死亡した患者さんの遺族などが、国と製薬会社を相手取って、大阪と東京で訴訟を起こしました。

 イレッサ使用時に、医師から重大な副作用についての説明が十分にされなかったのは、重大な副作用の危険を知りながら、適切な注意喚起を怠った国や製薬会社の責任である、というのが、原告側の主張で、イレッサの「添付文書」の記載が適切であったかどうかが、主な争点となりました。

 一審では、添付文書の記載に欠陥があったとして、大阪地裁では、製薬会社の責任を、東京地裁では、国と製薬会社の責任を一部認める判決が出ましたが、二審と最高裁では、国と製薬会社の責任を認めず、今年4月12日、原告敗訴の判決が確定しました。

 

イレッサ裁判の議論

 裁判で、主に議論になったのは、下記の2点です。

 

  • 国や製薬会社は、間質性肺炎のリスクを把握していたのか?(リスクは、想定内だったのか?)

  • そのリスクは、添付文書に適切に記載されていたか?

 

 国や製薬会社の責任は、リスクが、「想定内」なのか、「想定外」なのかで決まるようです(原発事故のときも同じような話がありました)。この点については、「想定内」であった(リスクを把握していた)、すなわち、国や製薬会社には、このリスクについて適切に行動をとる責任があったと認定されました。

 「添付文書」というのは、医薬品に添えられた数ページの文書で、適応となる疾患、使用法、使用上の注意点などが書かれています。副作用には多くの部分が割かれていますが、特に注意喚起が必要なものは、冒頭の「警告」欄に、赤字で記載されます。イレッサ承認当初の添付文書では、間質性肺炎の副作用は、「重大な副作用」欄の4番目の項目に書かれていました。4番目では、注意喚起が弱かったのではないか、「警告」欄に強調して記載すべきだったのではないか(実際、現在の添付文書ではそうなっています)、なんていうことが、延々と議論されました。

 「医療現場の感覚とはかけ離れた議論だった」というのが、私の率直な感想です。医療現場では、患者さんは、「実際のリスク」に直面し、それと向き合いながら、ギリギリの意思決定をしています。国や製薬会社がリスクを正確に把握していようがいまいが、添付文書の記載場所がどこであろうが、そんなこととは関係なく、リスクは、確実に、そこにあるのです。

 「リスクはすべて想定可能で、添付文書に正確に記載できる」という幻想が、裁判所にはあるのかもしれませんが、実際には、想定外のリスクや、添付文書に書かれていない副作用だって、起こりえます。患者さんは、そんなリスクと向き合い、医療者は、どんなリスクに対しても、責任を持って対処します。「想定内かどうか」「添付文書に書いてあるかどうか」で、国や製薬会社の責任の大きさは変わるのかもしれませんが、患者さんや医療者にとって、リスクの大きさや、リスクへの対処のしかたが変わるわけではありません。

 「リスクが想定内なのか想定外なのか」ではなく、「実際にあるリスクとどう向き合うか」という本質的な議論が必要ですし、「リスクをすべて記載した完璧な添付文書」を前提に議論するのではなく、「想定外のリスクも起こりうる」という現実を見つめる必要もあると思います。そうやって、リスクと向き合いつつ、考えるべきは、「リスクとベネフィットのバランス」であり、リスクとベネフィットをある程度予測するための「エビデンス」です。

 

よりよい未来にどう生かす

 イレッサをめぐる一連の出来事は、多くのことを学ぶべき貴重な機会だったのですが、裁判所では、添付文書の些末さまつな問題にすり替えられ、生産的な議論にはなりませんでした。この間、マスメディアでは、センセーショナリズムと善悪二元論によって、「イレッサ支持派」対「イレッサ否定派」、「現場の医師」対「薬害を主張する『専門家』」といった対立があおられ、国民全体でこの問題を考える、という雰囲気にはなりませんでした。

 副作用で大事なご家族を亡くされたご遺族をはじめ、この裁判に関わった多くの方々の苦労は、本当に大変なものだったと思います。その苦労に報いるためにも、私たちは、この問題から、少しでも多くのことを学び取り、よりよい未来のためにかさなければなりません。

 9年間にわたる裁判が終結した今、これまでの対立を乗り越え、不毛な議論から、生産的な議論に移るべき時だと思います。患者さんも、国民も、マスメディアも、国も、製薬会社も、医療者も、「リスクとベネフィットのバランスに基づいて判断する」という共通認識を持ち、最新のエビデンスに基づいて議論することが重要です。その上で、未知のリスクも起こりうるということも含め、リスクというものを正しく理解し、それをできるだけ減らすための努力をしていく必要があります。

 イレッサ問題以降も、数多くの医療問題が生じていますが、なかなか議論が深まらないまま、不毛な論争だけが繰り返されています。子宮頸がん予防ワクチンの問題も、その典型例です。今後、より成熟した議論を行うためには、私たちの意識を根本から変える必要があるのかもしれません。センセーショナルな議論に惑わされることなく、リスクとベネフィットのバランスを冷静に判断するにはどうしたらよいのか、皆さんもぜひお考えください。

 

「善悪二元論」に変化の兆し

 今年4月の最高裁判決の際、私のところに、新聞やテレビの取材が5件ありました。

 「イレッサには副作用もあるが、1年以上命が長くなるなど高い効果もある。利益と不利益のバランスを考え、医者と患者がよく話し合って使うことが大切だ」

 といった短いコメントが掲載されたり放送されたりしました。

 裁判に直接関係しているわけでもない無名医師の、何の変哲もない当たり前のコメントを、マスメディアがこぞって取り上げた理由はわかりません。多くの医師がコメントを控える中、都合よく使われただけの気もします。

 ただ、これまで、「善悪二元論」的に、対立する極論が掲載されるのが通例であった中、「リスクとベネフィットのバランスが重要だ」なんていう、どっちつかずの、あいまいなコメントが、好んで掲載されたということには、変化の兆しも感じます。

 これからは、マスメディアも、リスクとベネフィットのバランスや、エビデンスを重視するようになり、国民全体で、より生産的な議論ができるようになることを願っています。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)

 がん研有明病院 院長補佐・乳腺内科部長
 1972年東京生まれ。98年、東京大学医学部卒業。腫瘍内科医を志し、同大附属病院や国立がんセンター中央病院などで経験を積んだ。2005年、東京共済病院に腫瘍内科を開設。08年、帝京大学医学部附属病院腫瘍内科開設に伴い講師として赴任。10年、虎の門病院臨床腫瘍科に部長として赴任し、3つ目の「腫瘍内科」を立ち上げた。この間、様々ながんの診療や臨床研究に取り組むとともに、多くの腫瘍内科医を育成した。20年、がん研有明病院に乳腺内科部長として赴任し、21年には院長補佐となり、新たなチャレンジを続けている。西日本がん研究機構(WJOG)乳腺委員長も務め、乳がんに関する全国規模の臨床試験や医師主導治験に取り組んでいる。著書に、「がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う『HBM』のすすめ―」(きずな出版)や、「気持ちがラクになる がんとの向き合い方」(ビジネス社)がある。

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