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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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イレッサの「ベネフィット」

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 「夢の新薬」として登場した後、一転して、「悪魔の毒薬」となってしまったイレッサ。その「善悪二元論」に基づく極端なイメージは、多くの患者さんに混乱をもたらしましたが、今は、ほとぼりも冷め、進行肺がん治療に欠かせない標準治療薬として、幅広く使われています。

 最近は、患者さんにイレッサの説明をするとき、「以前、社会問題になって、マスメディアでもよく取り上げられていたので、聞いたことがあると思いますが…」と言っても、「いえ、聞いたことないです」と返されることの方が多いくらいです。

 イレッサが悪役だった頃、マスメディアでは、イレッサのリスクばかりが強調され、ベネフィットについては、あまり取り上げられませんでした。たまに、臨床試験の結果が報道されるときも、「イレッサに延命効果なし」と書かれるだけのことが多かったようです。

 イレッサで延命効果を得る患者さんは存在しますので、「延命効果なし」と言うのは正確ではないのですが、「イレッサ薬害」を主張する「専門家」は、このフレーズを多用し、マスメディアも、臨床試験の正確な結果を伝えようとはせず、ズバッとわかりやすいこのフレーズを見出しに使いました。

 「延命効果はなく、副作用で命を縮めるだけ」というのは、悪役のイメージにはピッタリでした。

 

効果の「3つ星エビデンス」がない理由

 医療現場でイレッサの効果を実感していた患者さんや医師たちは、報道されるイメージと、自分たちの実感との乖離かいりをもどかしく思っていましたが、その実感をすっきりと証明してくれるような臨床試験の結果(エビデンス)が、なかなか出てこなかったというのも事実です。

 この頃、イレッサとプラセボ(偽薬)、または、イレッサと従来型抗がん剤の比較で、進行肺がんにおける延命効果を調べた「ランダム化比較試験」の結果が3つ報告されていました。ランダム化比較試験は、最も信頼度の高い臨床試験で、その結果は、「3つ星エビデンス」となります(「エビデンスの格付け(2013年6月13日)」で説明しています)。

 このうち、海外で行われた1つの試験(INTEREST試験)では、イレッサによって、従来型抗がん剤と同程度の延命効果が得られることが証明されていますが、ほぼ同じデザインで行われた国内の試験(V15-32試験)では、延命効果を明確に証明することはできませんでした。また、海外で行われたもう1つの試験(ISEL試験)では、プラセボよりも延命効果がありそうだったのですが、明確な証明には至りませんでした。

 これらの試験は、イレッサの効果を予測する因子(EGFR遺伝子変異など)とは関係なく、進行肺がんの患者さんが広く登録されていましたので、「肺がん全体では、イレッサの延命効果を一貫して証明することはできなかった」ということになります。

 その後、EGFR遺伝子変異がある肺がんにイレッサがよく効くことがわかり、そういう肺がんの患者さんだけを対象とする臨床試験が行われるようになります。日本では、「イレッサで治療を開始するグループ」と、「従来型抗がん剤で治療を開始するグループ」を比較するランダム化比較試験が2つ行われ、イレッサの方が明らかによく効くことが証明されました。

 ただ、「従来型抗がん剤で治療を開始するグループ」の患者さんのほとんどが、試験の後にイレッサを使い、これがよく効いたため、2つのグループの患者さんの命の長さには差がありませんでした。

 どちらのグループの患者さんにも、イレッサの延命効果が同じようにあったと推測できるのですが、イレッサを否定したい「専門家」の手にかかると、この試験の結論も、「イレッサに延命効果なし」となってしまいます。

 

承認前と後の患者を比較

 イレッサが標準治療として確立している今の時代にあっては、「イレッサを使うグループ」と「亡くなるまでイレッサを一切使わないグループ」を比較するランダム化比較試験は、後者に割り付けられた患者さんの不利益になるため、実施できません。でも、このままだと、「イレッサに延命効果なし」という主張に決定的な反論ができないままになってしまいます。

 そこで、苦肉の策として、私たちが考えたのは、イレッサが使われていなかった時代の患者さんと、イレッサが承認された後の時代の患者さんを比べる方法でした。当時、私は、国立がん研究センター中央病院にいましたので、同病院の進行肺がんの患者さん(イレッサ承認前130人、イレッサ承認後200人)について、解析を行いました。

 その結果、生存期間中央値(治療開始からの平均的な生存期間)は、

イレッサ承認前  12.5か月

イレッサ承認後  18.1か月

 

 となっていました。この間に、イレッサ以外の抗がん剤や緩和ケアも進歩していますので、必ずしもイレッサの効果だけではないわけですが、これだけ生存期間が延びたことは今までありませんでしたので、イレッサの貢献が大きいと思います。

 さらに、私たちは、この患者さんたちについて、EGFR遺伝子変異の有無も解析しました。生存期間中央値は、

イレッサ承認前

EGFR遺伝子変異なし

10.4か月

EGFR遺伝子変異あり

13.6か月

イレッサ承認後

EGFR遺伝子変異なし

13.2か月

EGFR遺伝子変異あり

27.2か月

 

 となっていました。

 EGFR遺伝子変異がない場合は、イレッサ承認前後での生存期間の延長はわずか(10.4か月→13.2か月)で、これは、「延命効果を証明できない」というレベルでした。

 でも、EGFR遺伝子変異がある場合は、イレッサ承認前後で大幅に生存期間が延長していて(13.6か月→27.2か月)、EGFR遺伝子変異のある場合に限ってこれだけの差がみられることからしても、イレッサによる延命効果であると考えられました。EGFR遺伝子変異のある進行肺がんでは、イレッサを使うことによって、平均して13.6か月の延命効果が期待でき、治療開始からの生存期間がおよそ2倍になる、というのが、この研究の結論です。

 この研究は、ランダム化比較試験ではありませんので、信頼度は必ずしも高くないのですが、今後、イレッサを使う患者さんとイレッサを全く使わない患者さんを比較するランダム化比較試験を実施できない以上、重要なエビデンスになると考えてよいと思います。

 今回は、イレッサの延命効果という「ベネフィット」について解説しました。

 もしあなたが、EGFR遺伝子変異のある進行肺がんと診断されたら、イレッサを使いますか? 

 副作用で命を縮めてしまう可能性が2%程度あったとしても、ほぼ確実に効果があり、平均して1年以上の延命効果が期待できるわけですので、使った方がいいのではないかと、私は思いますが、どうでしょうか?

 いずれにしても、「命を縮めてしまうリスク」だけでなく、ベネフィットとのバランスで考えましょう、というのが私からのメッセージです。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)

 がん研有明病院 院長補佐・乳腺内科部長
 1972年東京生まれ。98年、東京大学医学部卒業。腫瘍内科医を志し、同大附属病院や国立がんセンター中央病院などで経験を積んだ。2005年、東京共済病院に腫瘍内科を開設。08年、帝京大学医学部附属病院腫瘍内科開設に伴い講師として赴任。10年、虎の門病院臨床腫瘍科に部長として赴任し、3つ目の「腫瘍内科」を立ち上げた。この間、様々ながんの診療や臨床研究に取り組むとともに、多くの腫瘍内科医を育成した。20年、がん研有明病院に乳腺内科部長として赴任し、21年には院長補佐となり、新たなチャレンジを続けている。西日本がん研究機構(WJOG)乳腺委員長も務め、乳がんに関する全国規模の臨床試験や医師主導治験に取り組んでいる。著書に、「がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う『HBM』のすすめ―」(きずな出版)や、「気持ちがラクになる がんとの向き合い方」(ビジネス社)がある。

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