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[石丸謙二郎さん]海へ山へ 還暦ターザン

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海へ出るか山に行くかは、その日の風次第だ。「次は何に夢中になるのか、自分でもわからない」(神奈川県内で)=小倉和徳撮影

 東京湾のきらめく波頭を裂いて、青いセールが疾走する。見渡せば東に房総半島、西には富士山がかすむ。風をつかまえようと格闘する鍛えられた体が、秋の日差しに浮かび上がる。

 「今朝は風が弱いね」。浜辺に戻り、ぬれた髪をかき上げた。数多くの舞台やドラマを彩る個性派俳優は、旅番組「世界の車窓から」(テレビ朝日系)のナレーションでも知られる。弁護士、医師など堅い役を演じることが多いが、ウインドサーフィンは、プロが「すごい。セミプロと言っていい」と認める腕前だ。

 37歳で始め、アマチュアの全国大会で3位に入った実績もある。スピード記録にも挑み、昨年秋には台湾の海に遠征して時速71・13キロを達成した。「あと5キロで日本記録なんだ」。もちろん、狙っている。

 大分県に生まれた。山や海で日が沈むまで遊んだ少年時代。木に登って実を採り、山芋を掘って食べた。「ターザンごっこ」が好きだった。

 そんな野性児も、東京の大学に進学し、中退して役者の道へ入ると生活は一変した。仲間と夜ごと酒を飲み、朝まで芝居を語り合う。昼過ぎに起きて稽古に出かけ、終わるとまた飲む。「当時は先輩もみんなそうだった。役者は酒を飲み、女性と話していればいい。それで体を壊して一人前だと。そんな風潮があった」

 芝居は面白い。都会も面白い。のめり込んだ20歳代だった。だが、30歳代になると、次第に違和感を覚え始めた。「都会の雑踏のなかで、なぜか一人イライラした。自然に触れようとしても、公園にはマムシ一匹すんじゃいない」

 管理された公園。管理された都市での暮らし。窮屈さでストレスが増し、眠っていた野性児の石丸少年が頭をもたげてきた。

 テレビで見たウインドサーフィンを、ふと自分もやりたいと思ったのは、そんな時だった。スポーツ店で道具一式を買い、自己流で川に浮かべてみた。夢中になり、約10年前には神奈川県の海辺の町へ居を移した。

 興味の対象は、ウインドサーフィンにとどまらない。40歳代後半に始めたフリークライミングでは、県大会にも出場。その岩登りの技術で、三浦海岸の周囲にある岩礁歩きにも挑んだ。

 野性児の本性がよみがえるにつれ、「役者だから日焼けしちゃいけない」などといった自己像の呪縛が、徐々に解けてきた。「30歳代まで、思うように仕事ができず、イライラすることが多かった。それが野外活動に熱中するようになり、仕事にも集中力がついた。様々なことがうまくいくようになった」と振り返る。

 多くの人を驚かせたのが、筋肉自慢の男たちが身体能力を競うテレビ番組「SASUKE」(TBS系)への出演だった。様々な難関が待つコースに、20、30歳代の若者にまじり、48歳で挑んだ。早々と失格する若者を尻目に、鍛えた肉体と気力で1回戦通過の一歩手前まで迫った。

 「僕は今もターザンになりたいんだね」。その思いを解き放ち、番組出演を重ねるうちに、自分を隠さず芸能界で生きていく覚悟ができていた。知的なエリートを演じる自分と、もう一人の自分を隔てる壁は消えていた。

 「人生は50歳からが面白い。それを若い人たちにも伝えたい」と言う。「昔は僕も、年を取ればやれることが少なくなり、つまらないだろうと思っていた。でも、体力が落ちても経験が補ってくれるとわかった。新しいことをいつ始めたっていいんだって」

 次は、どんな世界に出会うだろう。還暦を目前に、好奇心はますます旺盛だ。(梅崎正直)

 いしまる・けんじろう 俳優。1953年生まれ。劇作家、つかこうへいの事務所に入り、78年に「いつも心に太陽を」で舞台デビュー。テレビドラマ、CMのほか、映画の「ALWAYS 三丁目の夕日」「20世紀少年 第2章 最後の希望」「ゴールデンスランバー」など話題作に多数出演。

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