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[音無美紀子さん]歌声喫茶 被災地にエール
「青い山脈」「世界の国からこんにちは」「学生時代」「夏の思い出」――。
東京都内のホールで今月13日に開かれた「音無美紀子の歌声喫茶」。アコーディオンやピアノ伴奏を交えた歌を20曲以上、約90人のお客さんたちと一緒に歌った。
「皆さん大好きな歌ばかりで、自然と口ずさめる。用意した150曲ほどから、リクエストしてもらっています」
テーブルを回り、マイクを向け、肩に手を乗せる。仲間のタレントらも進行に加わり、会場は手拍子と歌で一体となった。
歌声喫茶は、司会者の進行で客が合唱を楽しむ店で、1950~60年代を中心に学生や若い労働者らでにぎわった。「私も、夫(俳優の村井国夫さん)と結婚する前のデートで行ったことがあります。ロシア民謡などを歌いました」と振り返る。
この歌声喫茶を模したイベントを、2011年12月から全国各地で開いている。半分は、東日本大震災の被災地で。半分は、その資金集めのため、東京を中心に横浜、名古屋、広島などを回ってきた。合わせて約50回開催した。
「もともと歌は不得手だったの。人前では絶対に歌わないぞと誓ったぐらいに」と打ち明ける。15歳のころ宝塚にあこがれていたが、芸能学校の先生から「歌が下手」とはっきり言われ、17歳で劇団若草に入って女優になった。
ホームドラマなどで活躍し、1976年に村井さんと結婚後は、2児の母にもなって、充実した生活を送っていた。だが、38歳のときに乳がんが見つかり、手術を受けた。退院後は、ふさぎ込みがちで、うつ状態になった。「ママの笑った顔が見たい」という長女の言葉など、家族の支えで、少しずつうつを克服していったという。
「あのころには戻りたくない。元気を出すために、無理にでも一歩踏み出して行動するようになりました」
最近は、乳がん検診の受診などを呼びかけるピンクリボン運動などに協力。震災後、「引きこもりがちな被災者にも、自分で一歩を踏み出す希望を持ってほしい」と思いついたのが、歌声喫茶だった。
会場の下見から、現地に持っていくお茶菓子などの用意まで、自分たちでまかなう「手作りのイベント」だ。仲間には、夫、長女、長男も加わっている。
「一人で歌うわけじゃないから下手もうまいもない。私も恥ずかしくなく大声で歌えるようになりました」と笑う。
昨年訪れた宮城県七ヶ浜町では、高台の公園に仮設住宅があった。海が見える広場にテントを建て、そこを歌声喫茶の会場にした。
懐かしい歌にひかれて住民らが次第に顔を出し、最後はあふれんばかりとなった。テントの隙間から、海の近くに残るがれきが見える中、みんなで涙を流しながら「故郷」を合唱した。うつむきがちだったお年寄りたちの顔は、真っすぐ前を向いていたという。
今、被災地の支援としてだけでなく、「今の地域社会につながり作りの場としても、歌声喫茶があってもいいんじゃないかな」と思い始めている。「いつまでも続けたい」ライフワークになりつつある。(鳥越恭)
おとなし・みきこ 女優。1949年、東京生まれ。71年、TBSのドラマ「お登勢」のヒロイン役で人気女優に。映画「その男、凶暴につき」、大河ドラマ「独眼竜政宗」、舞台「女たちの忠臣蔵」など出演作多数。著書に「がんもうつも、ありがとう!と言える生き方」など。
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