がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム
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東日本大震災の教訓
多くの方が犠牲になり、傷ついた、東日本大震災から、2年半がたちました。今なお、悲しみや苦しみが続き、解決されていない問題も山積していますが、復興の歩みは、着実に進んでいます。
私たちには、この経験から学び、生産的な議論を行い、よりよい社会を創っていく義務があります。でも、震災後の議論をみていると、結局、この国は、今回の経験から何も学んでいないのではないかと思うことがあります。
未曽有の出来事から考えるべきこと
震災、津波、原子力発電所事故。それらは、私たちの経験したことのない、「未曽有」の出来事でした。経験したことのない「リスク」を目の当たりにしたわけですから、まずは、「実際に起きたこと」をきちんと受け止め、その上で、未来に向けた議論をしていく必要があります。私たちが考えるべきなのは、
このようなリスクと、どのように向き合うか。
このようなリスクがあることを知った上で、どのように生きていくべきか。
リスクをできるだけ小さくするために何をすべきか。
といった問いです。
これらの問いに対して、国民、あるいは、人類の一人ひとりが、「自分の問題」として取り組むべきだと思うのですが、世の中では、この問題が、他人事のように語られ、後ろ向きの、
「想定外」と「責任」と「謝罪」
マスメディアで多用され、お茶の間でも好んで使われるキーワードが3つあります。「想定外」「責任」「謝罪」です。
「想定外」のことが起きたのは、自分のせいではなく、自分ではない誰かが「責任」を取るべきで、その責任者が、国民に向かって「謝罪」する必要があると、多くの人が主張します。
この主張の背景には、「ゼロリスク症候群」「善悪二元論」があります。「リスクがゼロの状態が想定できる」という幻想と、「自分ではない誰かを悪者としてつるし上げることで安心感を得たい」という本能です。そういう安易な考えに陥ることで、人々は、本質を見失い、思考を停止させているようにみえます。
「想定外」であったと言い訳しても、誰かの「責任」を追及しても、「謝罪」を要求しても、本質から目を背けている限り、未来につながる生産的な議論はできません。
想定外のことでも起こりうる
今回私たちが痛烈に思い知らされたのは、「想定外のことでも起こりうる」ということです。この世の中に、「リスクがゼロ」の状態なんてないわけですから、「想定外」のリスクもゼロではないのは当然なのですが、多くの人は、「想定外のことは起こらない」と、漠然と信じていました。
これは、まさに、「ゼロリスク症候群」なのですが、今回の「信じられない」「想像を絶する」出来事を目の当たりにして、人々が、「ゼロリスク」は幻想であると気付いたのかと言えば、必ずしもそうではないようです。今もなお、「想定外のリスクはゼロ」だと信じている人は多く、世の中の議論は、「想定外のことが起きたのは、想定が間違っていたからだ」という方向に流れています。
実際、巨大地震の際に想定される津波の高さは、東日本大震災後に、軒並み引き上げられました。これまでの想定は間違っていた、ということです。「想定外のことが起きてしまったのは、まったくの想定外でしたが、今回、想定の範囲を広げたので、もう二度と、想定外のことが起きることはありません」という説明は、私には、冗談にしか聞こえないのですが、どうでしょうか?
ゼロリスク症候群が
想定内でも想定外でもリスクはある
一方、「想定内」のことが起きて、被害が生じた場合、その責任は、適切な対策をとらなかった行政にある、ということになるようです。
先日、原発事故をめぐって、市民団体から告訴・告発されていた東京電力幹部や政府関係者が、不起訴処分になりましたが、その理由は、この規模の地震や津波が、「専門家らの間で全く想定されていなかった」から、と説明されました。「想定外のことは仕方ない(法律でも想定していない)」「想定内のことには責任を持たなければいけない」ということのようです。法律の世界でもこの論理がまかり通っているのには、驚きました。想定の範囲が広げられ、「想定外でした」という言い訳が使いにくくなってしまった行政担当者は、これから大変でしょう。
それにしても、リスクの程度でも、被害の程度でもなく、「専門家が想定していたかどうか」というあいまいな基準で決められる「責任」って、いったいなんなのでしょうか。「責任」をなすりつけあうために、「想定内」だったのか、「想定外」だったのか、という議論が
想定内であろうと想定外であろうと、一定のリスクはあり、いくら努力しても、防ぎきれないリスクがあります。そういうリスクと向き合いながら、それをできるだけ小さくする方向性を議論しなければいけないのに、国民も、マスメディアも、専門家も、行政も、みんな不毛で些末な議論に終始して、思考停止に陥っているように見えます。
東日本大震災後の私たちに求められているのは、「実際に起きたこと」から教訓を学び取り、「ゼロではないリスク」との向き合い方を真剣に考えることではないでしょうか。