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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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「リスクゼロ」の幻想

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 「ゼロではないリスク」を許容できず、ひたすら「ゼロリスク」を求める「ゼロリスク症候群」。この考え方に陥ってしまうことの最大の問題点は、バランスのとれた判断と、本質的な議論が、できなくなってしまうことにあります。

 ゼロリスク症候群では、「リスクがゼロである(存在しない)」と「リスクがゼロではない(存在する)」の間に、判断の線引きがあります。前回紹介したBSEの問題では、「1億分の1程度のリスク」が、「ゼロではないリスク」とみなされ、大騒ぎになりました。逆に、身の回りにたくさんあるはずの、「未知の病原体に感染するリスク」については、あまり気にしている人はいません。未知のリスクは、マスメディアで取り上げられることもなく、想像する人もあまりいませんので、そんなリスクは、「存在しない」、すなわち、「ゼロである」と、みなされがちです。


リスクがあるかないかの線引き

 そう考えると、「リスクがゼロである」と「リスクがゼロではない」の線引きというのは、

  • リスクの存在を知っているかどうか

  • マスメディアが取り上げているかどうか

  • まわりのみんなが気にしているかどうか

 によって左右されていることがわかります。

 「ゼロに近いがゼロではないリスク」はたくさんありますが、そのリスクが社会問題になっているかどうかで、評価は全く違ってきます。あるものは、わずかなリスクのために、世の中から徹底的に排除され、あるものは、リスクが無視され、「ゼロリスクである」と妄信されています。この線引きは、けっして本質的なものではなく、「気になるか」「目を背けているか」という、気分の問題と言っていいかもしれません。


BSE問題と白装束集団

 日本政府がBSE問題で、米国産牛肉の輸入を禁止した2003年、ある国内宗教団体の信者たちが、「ニビル星が地球に衝突するので避難する必要がある」と訴えて、山奥に集団移動したことがありました。有害電磁波から身を守るために白装束を身にまとっていた彼らの姿は、テレビのワイドショーでも大々的に取り上げられ、お茶の間の話題をさらっていました。

 変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)が怖くて米国産牛肉を食べなくなった人たちが、白装束集団のことを、おかしいと思い、笑っていたわけですが、よく考えてみると、「牛肉を食べてvCJDを発症するリスク」も、「ニビル星が地球に衝突するリスク」も、「限りなくゼロに近いがゼロではないリスク」であるという点で、同じようなものです。少なくとも私には、この2つのリスクに本質的な違いを見出すことはできません。

 それなのに、vCJDの心配をするのが「科学的」で、ニビル星の心配をするのは「非科学的」であると、誰もが信じていました。この線引きは、何によって形作られたのでしょうか? 単に、マスメディアの報道姿勢が違っていただけ、ということなのかもしれません。

 「リスクがゼロである」という状態は、現実には存在しません。「リスクがゼロである」と「リスクがゼロではない」の間に線を引くこと自体が、幻想にすぎないのです。そういう線引きが可能であると信じ、そこに判断の基準をおく「ゼロリスク症候群」の考え方では、世の中を正しく見ることはできず、本質的な議論をすることもできません。


現実的に議論するためのポイント

 では、私たちはどうすればよいのでしょうか? 現実的かつ生産的な議論をするためのポイントは、次の3点です。

(1)

「ゼロではないリスク」をきちんと受け止める

(2)

「リスクがゼロであるかどうか」ではなく、「リスクの程度がどれくらいか」を考える

(3)

リスクとベネフィットのバランスを議論する

 ゼロリスク症候群では、「リスクがゼロであるか、ゼロではないか」という議論に終始しがちですが、そもそも、「ゼロリスク」はありえませんので、この議論自体が無意味です。「ゼロではないリスク」から目を背けて、思考停止していると言ってもよいかもしれません。まずは、リスクの存在を認めるところから始めないと、本質的な議論はできませんし、リスクを小さくする取り組みもできません。

 それなのに、この国では、「リスク」を語ることはタブーとされてきました。国民の間では、「リスク」は毛嫌いされ、「ゼロリスク症候群」が蔓延(まんえん)しています。国や政治家や専門家は、リスクを伴うことを進める際に、上記(1)(2)(3)のポイントを丁寧に説明すべきなのですが、実際には、あまりそういう努力をすることはなく、ゼロリスク症候群に同調して、「リスクはゼロである」と平気で言ってしまいます。そうやって、ゼロリスクの幻想だけが広まり、人々は思考を停止して、大事な議論がなされないままになっています。

 2011年3月11日、私たちは、「未曽有の」大災害と、「未曽有の」大事故を経験しました。「想定外」のリスクが起こりうることを、多くの尊い命の犠牲とともに、私たちは知ったわけです。でも、これだけのことを経験しながら、「この国は何も学んでいないのではないか」と思うことがあります。

 次回は、東日本大震災後の私たちの、「リスクとの向き合い方」を考えます。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)

 がん研有明病院 院長補佐・乳腺内科部長
 1972年東京生まれ。98年、東京大学医学部卒業。腫瘍内科医を志し、同大附属病院や国立がんセンター中央病院などで経験を積んだ。2005年、東京共済病院に腫瘍内科を開設。08年、帝京大学医学部附属病院腫瘍内科開設に伴い講師として赴任。10年、虎の門病院臨床腫瘍科に部長として赴任し、3つ目の「腫瘍内科」を立ち上げた。この間、様々ながんの診療や臨床研究に取り組むとともに、多くの腫瘍内科医を育成した。20年、がん研有明病院に乳腺内科部長として赴任し、21年には院長補佐となり、新たなチャレンジを続けている。西日本がん研究機構(WJOG)乳腺委員長も務め、乳がんに関する全国規模の臨床試験や医師主導治験に取り組んでいる。著書に、「がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う『HBM』のすすめ―」(きずな出版)や、「気持ちがラクになる がんとの向き合い方」(ビジネス社)がある。

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