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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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ゼロリスク症候群

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 すべての医療行為には、「リスク」が伴います。リスクとは、副作用が起きたり、苦痛を感じたり、死亡したりする、「よくないこと」です。

 リスクがあるとわかっていながら、なぜ、わざわざ医療行為を受けるのでしょうか?

 それは、リスクを上回る「ベネフィット」が期待できるからです。ベネフィットとは、病気が治ったり、症状が楽になったり、命の長さが延びたりする、「よいこと」です。リスクが生じる可能性があっても、それを上回るベネフィットが期待できる場合に限って、その医療行為は正当化されます。

 

 

 

 

リスクからは逃れられない

 リスクというのは、小さい方がよく、医療従事者は、医療行為に伴うリスクを、できるだけ小さくする努力をしなければなりませんが、医療従事者がどんなに努力しても、リスクはゼロにはなりません。リスクをゼロにしたければ、その医療行為を行わないという考えもありますが、そうすると、得られるはずのベネフィットが得られなくなりますので、病気が進行してしまうなどのリスクを負うことになります。

 結局、リスクからは逃れられないということです。医療行為に限らず、リスクに囲まれて生きているというのが、われわれの宿命です。

 それでも、リスクはゼロであってほしいと、多くの人が願っています。理想を求める気持ちは、否定されるべきではないかもしれませんが、ゼロではないリスクに囲まれているという現実に目を背けて、ひたすらに、「ゼロリスク」を追い求め続けることには、いろいろと問題があります。

 「リスクはゼロでなければいけない」という考え方に取りつかれてしまうことは、「ゼロリスク症候群」と呼ばれることもあります。「ゼロリスク症候群」の症状をまとめると、次のようになります。

(1)リスクがゼロの状態がありうると信じている

(2)(どんなに小さいリスクでも)「ゼロではないリスク」は許容できない

(3)リスクがゼロでない限り、ベネフィットについて考えることができない

 

BSE問題から考えてみる

 ゼロリスク症候群が、社会的に顕著に表れた例として、BSEをめぐる反応が挙げられます。

 BSEは、「牛海綿状脳症」という牛の病気で、「狂牛病」とも呼ばれ、「異常プリオンたんぱく」の感染が原因と考えられています。BSE感染牛の肉を食べることで、人間にもこの病原体が感染する可能性があり、感染した場合、脳の異常をきたし、死に至る、「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)」を発症することがあります。BSE感染牛が多く発生したイギリスでは、1996年以降の約10年間で、200人近くが、vCJDで死亡したと報告されています。

 BSEやvCJDのニュースが盛んに報道されていた2003年、米国でBSE感染牛の発生が報告されると、日本政府は、米国産牛肉の輸入を禁止しました。当時、私は、安い牛丼が食べられなくなったことが、とても悲しかったのですが、国民の大半は、輸入禁止の決定を支持していたようです。好きなものが自由に食べられなくなったという人も含めて、そういう規制を支持する人がほとんどであったことに、私は驚きました。

 

10年で1億分の1のリスク

 BSE感染牛の肉が広く流通していた時代のイギリスで生活していたとしても、10年間でvCJDを発症する確率は、30万分の1(6000万分の200)程度です。米国でのBSE感染牛の報告は、イギリスに比べればわずかなものでしたし、感染のチェックや、脳や脊髄などの危険部位の除去も行われていましたので、米国産牛肉をいくら食べたとしても、vCJDを発症する確率は極めて低かったはずです。多く見積もっても、10年間で、1億分の1程度でしょうか。正確な数字はともかく、「ゼロではないが、限りなくゼロに近いリスク」と言って差し支えないと思います。

 このわずかなリスクを回避するために、日本国民は、米国産牛肉を自由に食べるというベネフィットを奪われてしまったわけです(米国産牛を食べられることを、ベネフィットと思わない人もたくさんいらっしゃるでしょうが・・・)。

 このときは、「異常プリオンたんぱく」が問題となったわけですが、私たちの身の回りには、もっと高い確率で命を脅かす病原体がたくさんあります。今日あなたが食べたその食品から、未知の病原体があなたの体に入り込んだ確率だって、1億分の1よりははるかに高いはずです。そんなことを考えたら、vCJDのリスクだけを考えて大騒ぎするのは、明らかにバランスを欠いています。

 身近な食品で言えば、お正月に食べる「おもち」は、米国産牛肉よりもずっと危険です。正確な統計はないのですが、日本では、毎年多くの人が、おもちをのどにつまらせて死亡しています。年間100人程度が亡くなっているとして、米国産牛の約1000倍は致死率が高いことになります。米国産牛肉を輸入禁止にするくらいなら、おもちを食べるのを禁止する方が、よっぽど多くの命を救えるのですが、どうして、政府は、米国産牛肉だけ禁止して、おもちを禁止にはしなかったのでしょうか?

 

過去の対応 検証が必要

 話がそれてしまいましたが、このBSEの話は、「限りなくゼロに近いがゼロではない」リスクを過剰に心配し、過剰な行動をとってしまった、「ゼロリスク症候群」の典型例と言えます。世論やマスメディアは、しばしば、「リスク」についてバランスを欠いた判断をしてしまいます。国も、世論やマスメディアに流されてしまうことがあるというのは、BSE問題をみても、明らかです。

 BSEをめぐる対応では、牛丼チェーン店を除けば、直接的な被害を受けた人は少なかったかもしれませんが、あのときの対応が適切だったのかどうか、きちんと検証すべきだと思っています。そうしないと、ゼロリスク症候群が、また新たな問題を引き起こすことになってしまいます。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)
腫瘍内科医。東京生まれの神奈川育ち。1998年東京大学医学部卒。2010年より虎の門病院臨床腫瘍科部長。国立がん研究センター中央病院、東京共済病院などで、抗がん剤治療を専門に手がけてきた。がん薬物療法専門医会代表も務める。

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