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[山本一力さん]ホットヨガで気力充実
まっすぐに伸ばした指先から汗が流れ落ちた。室温40度、湿度40%以上に保たれたスタジオで行う「ホットヨガ」。体の節々を伸ばしたり、曲げたり。90分かけて26種類のヨガのポーズをとる。
レッスン後は、肌の色つやもいい。「汗と一緒に、悪いものを体から流し出しているみたいなんだよ」。58歳で始めてから、7年たった現在も週に1度はスタジオへ通う。妻の英利子さん(49)とともに、夫婦で夢中になっている。
7年前に英利子さんからホットヨガに誘われたときは、「若い女性ばかりの中でおじさんがヨガをするなんて、恥ずかしくてできるか」と思った。渋々付き合っていたが、やがて誰も他人を気にしていないことに気づいた。「周りの目を気にして、一歩を踏み出せないのはつまらない。自分がやりたいことをやったほうが人生は楽しいんだ」
14歳で上京。高校を卒業するまでの4年間、新聞販売店に住み込んで朝夕刊を配達した。「雨の日も寒い日も、新聞紙を積んだ自転車で走った。あの頃、心も体も鍛えられたと思う」
小説を書き始めたのは46歳から。事業に失敗して2億円の借金を背負い、「ベストセラーを書いて返済する」と決意したのがきっかけだ。
53歳で直木賞に選ばれ、執筆依頼が急増。時代小説を存分に書けるようになったことは大きな喜びだった。しかし、体には疲れが次第にたまり、50代後半には肩や腕が上がらなくなっていた。まだまだ書きたいものがあるのに、こんな体力と気力の状態で書き続けられるのだろうか。
不安に気づいた英利子さんがホットヨガを見つけ、一緒に参加しようと誘った。ポーズをとるのも必死だったが、心地よさにやみつきになった。
ホットヨガを始めてから、「腕や肩の調子はすっかりよくなり、気力も充実してきた」。デビュー以来、江戸時代の市井の人々を描いてきたが、小説「ジョン・マン」では作風を変え、ジョン万次郎を主人公に海外の人々の姿も描いた。「気力がみなぎっていたから、アメリカへ何度も取材に出かけられたし、今までとは違う新しい作品が書けた」
アメリカでも時間を作ってホットヨガのスタジオを訪れた。ロサンゼルスでレッスンをともに受けた80代の女性からは、レッスン終了後に「お遍路に行きたい」と話しかけられた。うれしくなって丁寧に説明しながら、「これほどの年齢になって、まだ未知のことに挑戦しようと思っているとは」と、大いに刺激を受けたという。男性同士はロッカールームで気軽に言葉を交わすことも多い。たくさんの人々との出会いも、ホットヨガを通して新たに知った楽しさのひとつだ。
自動車の運転は60歳の誕生日を機にやめた。視力の低下や体力の衰えという事実は受け入れつつ、「心と体が健やかであれば、新しいことにも挑んでいける」。そんな毎日をホットヨガが支えている。(福士由佳子)
やまもと・いちりき 作家。1948年、高知市生まれ。97年に「蒼龍(そうりゅう)」でオール読物新人賞を受賞しデビュー。2002年に「あかね空」で直木賞を受賞。江戸時代の市井の人々を描いた時代小説で知られる。
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