がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム
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世論とマスコミに流される国と専門家
子宮頸がん予防ワクチンには、不利益もありますが、それを上回る利益が期待できると考えられます。しかし、現在、ワクチン接種後の副反応に関するセンセーショナルな報道と、国の「積極的な接種勧奨の差し控え」の影響で、ワクチン接種をためらう人々が増えています。
子宮頸がんワクチンの副反応とセンセーショナリズム
この状況が続き、ワクチン接種者が減った場合、一時的には重い副反応で苦しむ女の子の数は減るかもしれませんが、10~20年以上先には、その1000倍規模の数の女性が、防げるはずだった子宮頸がんで苦しむ可能性があります。
しかし、マスメディアに登場するのは、今、実際に、副反応で苦しんでいる女の子の姿であって、10~20年以上後に苦しむことになるかもしれない誰かの姿が、リアルな映像として流れることはありません。
「いつか」「誰かに」「起きるかもしれない」ことよりも、「今」「実際に」「そこで起きている」ことの方が心に響くのは当然で、その両者を天秤にかけて、冷静に比較するのは難しいようです。ですが、難しいからといって、心に響く方だけを強調し、人々の感情を煽ろうとするのは、どうかと思います。
マスメディアは、そういう安易な「センセーショナリズム」に流れるのではなく、「リスク-ベネフィットバランス」を冷静に判断できるような「エビデンス」を伝えるべきだと思うのですが、今のマスメディアにそれを期待するのは無理な話なのでしょうか。
目先の利益や不利益に流されやすい人々と、それを助長するマスメディアが、世論の方向性を決めていく中で、結局、不利益を被るのが誰かと言えば、それは、国民です。
日本だけ接種率が上がらないと、20年後は…
今年、日本では風疹が大流行しています。妊娠中の女性が風疹ウイルスに感染した結果、生まれてくる子供の目や耳や心臓に障害が起きてしまう、「先天性風疹症候群」も報告されています。先進国の多くで、予防接種により風疹の流行が抑えられている中、日本がこのような状況になってしまったのは、1990年代に風疹ワクチン接種率が落ち込んだことが原因と考えられています。当時、予防接種の副反応をめぐる裁判などをきっかけに、世の中には予防接種に対する逆風が吹いていて、予防接種法の改正により、学校での集団接種が中止されたという経緯があります。
子宮頸がん予防ワクチンについても、同様のことが起きる可能性があります。現在、世界各国で子宮頸がん予防ワクチン接種が普及しつつありますが、日本だけ、今の流れのまま、接種率が上がらないとすると、20年後、子宮頸がんを発症する女性の数が日本だけ減っていない、なんて状況になってしまうかもしれません。
大局に立って国民全体の利益と不利益のバランスを考えるのが、国や専門家のあるべき姿ですが、今回の国の「積極的な接種勧奨の差し控え」をみると、国も、国が招集した専門家も、「世論やマスメディアの論調に流されてしまった」というのが正直な感想です。
「リスクはすべて想定できる」という幻想
国が「積極的な接種勧奨の差し控え」に至った理由についても、疑問に思う点があります。国が理由として挙げているのは、「持続する疼痛の副反応症例等について十分に情報提供できない状況にある」ということです。
どうも、国は、子宮頸がん予防ワクチンの「リスク(不利益)」について、「きちんと調べれば、十分に情報提供できるはず」と考えているようです。
ここには、「リスクはすべて想定できる」という幻想が潜んでいます。
そもそも、「リスクについての十分な情報」とはどの程度のものを指すのでしょうか? どんなに正確に過去のデータを集めて解析しても、これからワクチン接種を受ける「あなた」に「重い副反応」が起きるかどうかはわかりません。今まで世界中の誰にも起きたことのない未知の副作用が、あなたに起こるリスクもゼロではありません。
どこまで行っても、リスクについての情報は「不十分」だと考える方が、現実的です。その「不十分」「不確実」な情報に基づいて、判断を下すしかないわけです。
「リスクについての情報が不十分だから、判断を下せない」というのは、本質から目をそらした言い訳のように思えます。
想定外のことも起こりうるという事実も含めて、「リスク」なのであって、それをきちんと受け止めることから始めなければいけません。
「リスク」を巡っては、「リスクはすべて想定できる」という幻想と並んで、「リスクがゼロの状況がありうる」という幻想も蔓延しています。この幻想を抱くことを、「ゼロリスク症候群」と表現することもあります。
次回は、これらの幻想の問題点と、「ゼロではないリスク」との向き合い方を考えてみたいと思います。