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国民皆保険・皆年金(13)国民健康保険の内容
<国民皆保険・皆年金(7)「国民年金の創設」>の回で、国民年金制度がなぜ社会保険方式になったのか、また、保険料を払えない低所得の人の扱いはどうしたのかについてご紹介しました。そこで今回は、国民健康保険制度の場合はどうだったのかについて、見ていきたいと思います。
社会保険方式を採用
国民健康保険制度は、1938年(昭和13年)に始まりました。当時のことを記した文献(「国民健康保険二十年史」、全国国民健康保険団体中央会、1958年)を読むと、次のような記述があります(読みやすいように要約・意訳してあります)。
<(大正から昭和にかけて)被用者を対象にした健康保険制度ができ、相当の成績を上げていたが、医療保険制度がない農山漁村の住民は大きな医療問題を抱えていた。都市部に比べ、農山漁村には医療機関が少なく、診療には多額の費用がかかるため、多くの住民は「経済的な重圧」に苦しんでいた。 そうした状況を解決する方法として(1)無料診療所(2)軽費診療事業(3)共済保険医療事業があった。だが、(1)は、病人には一切負担を求めないため、巨額の税金が必要となり、国や自治体がその費用負担に耐えられるか、はなはだ疑問である。(2)は、医療費軽減に相当の効果は見込めるが、軽減はどこまでも軽減なので、個人の経済的重圧の根本的な解決にはならない。 (3)は、健康保険制度や共済組合制度などのことで、この制度は、相互共済の精神にのっとり、加入者が負担するから、巨額の税金が必要になることはない。また、加入者は負担の見返りの「権利」として、給付を受け取ることができる。給付が確実に受けられるようになれば、病気による生活不安は除かれ、日常生活は安定する。また、単なる救済や補助は、国民の気力を減退させる恐れもある。リスク分散という機能を持つ保険制度では、多額の医療費を多人数の負担によって賄えるため、医療費の重圧からの解放も見込める。このような思想から、国民健康保険制度は立案されたと思える> |
つまり、税方式で行うと莫大な税金が必要と見込まれること、また、社会保険方式の方が給付の権利性が強いと考えられたことなどがうかがえます。
国民健康保険制度が成立するまでの間、何度も要綱案が作られ、内容が変わったところもありますが、社会保険方式については、当初の段階からぶれがありません。その理由としては、上記に挙げた要素のほか、既に実施されていた被用者対象の健康保険制度が社会保険方式で行われていた影響もあるのかもしれません。
低所得者の扱いは
社会保険方式で全ての人に医療を保障する場合、問題となるのは、保険料を払えない低所得者をどうするかです。
国民健康保険法ができた当初は、運営を行う組合の設立は任意で、加入も原則として任意でした。組合が設立され、例外的にその地区の人が強制加入とされた場合でも、被用者保険に加入している人と並んで、「特別な理由のある人で、組合の規約で定める人」は適用除外の対象とされました。具体的には、多額の収入のある人や、低所得者などです。多額の収入のある人は保険に加入する必要はないし、低所得者は、「保険料を拠出して給付を得る」という社会保険の原理から見て、加入する能力がないと考えられたためのようです。ただし、この適用除外は、加入を望んだ人まで拒むものではない(任意加入はできる)ものとされました。その後、適用除外対象者から、高額所得者は外れました。
低所得者の場合は、任意加入が可能といっても、現実に保険料を払うのは難しいといえます。実際、組合に代わって保険の運営者が原則として市町村となった後も、地方税(住民税)を免除されているような低所得者は、ほとんど例外なく除外されていたようです。
しかし、「国民皆保険」を達成するために、全市町村に保険の運営者になることを義務付け、被用者保険に加入していない住民は全て国民健康保険制度に加入することを定めた1958年の国民健康保険法の全面改正後は、低所得者の扱いはどうしたのでしょうか。この問題については、次回、見てみたいと思います。
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