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[藤岡弘、さん]正義のコーヒー 途上国支援

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「相手を思う気持ちでいれると、コーヒーの味も違います」(東京都内で)=藤原健撮影

 東京都内の事務所や自宅で、訪れる客を独特のコーヒーのいれ方でもてなす。その習慣を大事にしている。

 テーブルの上にキャンプ用のバーナーを置いて湯を沸かし、一滴ずつ丁寧に粉の上にたらす。香ばしい香りが広がるなか、傍らの茶せんを取り上げると、カップの液体を一気にたてた。

 無言のまま、カップを静かに差し出す様子は茶道のよう。「母がお茶の先生だったから考えついたんだ」。一人で楽しんでいた作法が、友人にも「おいしい」と好評で、以来、続けている。

 豆は、南米ペルーのアンデス山脈で育つ自然種で、先住民の栽培農家が農薬などを使わず手作業で収穫したもの。心からおいしいと思えるコーヒー豆を探していて、雑味なくすっきりとした味わいが気に入った。

 独自に買い付け、3年前から「藤岡、珈琲」と自分の名を冠し、販売も始めた。生産者に正当な対価が届くことを願っている。

 警察官で武道家でもあった父のもと、規律を重んじる「和風」の家庭に育った。高校卒業後、俳優を目指して上京し、松竹映画でデビュー。1971年に「仮面ライダー」としてテレビ番組に出演すると、一躍、子どもたちのヒーローになった。

 各地の児童養護施設や難病、障害の子の施設に呼ばれ、慰問で全国を回った。実家は、四国霊場八十八か所の四十四番札所・大宝寺の近くで、お遍路さんをもてなす母を見て育ったから、「人助けは当たり前」だった。

 38歳の時、米ハリウッド映画に、日本人ではまだ珍しかった主演を果たした。その時、米国の俳優たちが紛争地の難民キャンプを支援したり、孤児を養子にしたりしているのを知った。そして、「世界にはこれほど悲惨な境遇の子がいるのか」と驚いた。

 慰問で知り合った日本の民間団体(NGO)からも、海外の紛争地の惨状を聞いた。食料や医療品など必需品が届かず、難民キャンプで多くの子が飢えや病気で死んでいるという。それなら、自分の手で物資を運ぼうと決めた。

 80年代後半から20年ほど、NGOと組んだ支援活動や、テレビ番組の収録などを通し、アフリカや中東を中心に約100か国を訪れた。

 難民キャンプでは、盗賊などの襲来に備えて兵士が不眠不休で警備にあたる。寝不足の充血した目で銃口を向けられ、「もう終わり」と思ったこともあった。

 そんな狂気が支配する戦場でも、1杯のコーヒーが兵士の正気を支える様子を目にした。「コーヒーは安らぎのために飲むものだけど、あそこでは戦いのためだった。我々日本人は、恵まれていると思った」

 米同時テロ以降、紛争地への出入りは難しくなり、代わりに始めたのが途上国のコーヒーの販売だった。

 「貧しい国の人たちが育てた大事な豆を、自分の知名度を使い売れるなら、そういう支援があってもいい」。そう考え、アフリカの最貧国の一つ、マラウイの豆を手がけた。テレビなどで紹介すると、すぐに完売。「もっと紹介して」という声にこたえ、現在はペルー産を販売している。

 「多くの日本人は世界の厳しい現実を知らない。自分も訪れなかったら、知らずに傲慢になっていたかもしれない」。できることを通じて、過酷な状況にいる子どもたちの力になろう。それが、これからの自分の「戦い」だと思っている。(樋口郁子)

 ふじおか・ひろし 俳優、武道家。愛媛県生まれ。1965年、「アンコ椿は恋の花」で映画デビュー。「日本沈没」(73年)、「大空のサムライ」(76年)など主演映画多数。米映画「SFソードキル」(84年)の主演を始め、国際俳優としても活躍。柔道、空手、抜刀道、刀道などの有段者。

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