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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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利益と不利益のバランス

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 子宮(けい)がん予防ワクチンについて、最近、ニュースや新聞記事で目にした方は多いと思います。また、ご家庭のお子さんが、このワクチンを接種したという方もいらっしゃると思います。

 「子宮頸がん予防ワクチンを接種したほうがよいか?」というのが、今回取り上げる、クリニカルクエスチョン(医療現場で直面する疑問)です。



子宮頸がんワクチンと副作用報道

 テレビのニュースでは、ワクチンを接種したあと、痛みやけいれんなどの症状で苦しんでいる女の子の映像が繰り返し流され、多くの方が、このワクチンが「おそろしいもの」だと感じたと思います。実際にこのような症状で苦しまれている方々や、そのご家族に対しては、医療者の一人として、心よりお見舞い申し上げます。

 医療行為に伴うこのような不利益は、できる限り少なくするのが、医療者の責務であり、たゆまぬ努力を続けなければなりませんが、それと同時に、すべてのみなさんに知っておいていただきたいのは、医療行為における不利益は、どんなに努力しても、けっしてゼロにはならないということです。

 不利益があっても、それを上回る利益が期待できるから、その医療行為が正当化されます。「不利益がわずかでもあれば、それは許容できない」としてしまうのではなく、「不利益と利益とのバランスで考えましょう」というのが、今回、私が一番伝えたいことです。

 子宮頸がん予防ワクチンの接種によって、子宮頸がんで死亡する女性の数が減ることが期待されています。ワクチン接種後の症状で苦しむ女の子の映像を繰り返し流すのであれば、それと同時に、子宮頸がんで苦しむ女性の実情もきちんと伝えなければ、バランスを欠いています。

 そして、より重要なのは、ワクチン接種による不利益(リスク)と、利益(ベネフィット)のバランス(リスク-ベネフィットバランス)を、科学的な根拠(エビデンス)に基づいて、冷静に考えるということです。



「社会問題」化するクリニカルクエスチョン

 今回のような多くの国民が直面するクリニカルクエスチョンが出てきたとき、「リスク-ベネフィットバランス」と「エビデンス」をキーワードに、人々の「道案内役」になるべき存在がマスメディアだと、私は思っています。

 ところが実際は、こういうクリニカルクエスチョンが持ち上がるたびに、マスメディアはまったく逆の方向に突っ走ってしまいます。キーワードで書くと、次のようになります。


  • 「リスク-ベネフィットバランス」  ではなく  「善悪二元論」

  • 「エビデンス」  ではなく  「センセーショナリズム」

  • 「クリニカルクエスチョン」  ではなく  「社会問題」


 物事には、いい面と悪い面が必ずあるので、そのバランスを考える必要があるのですが、マスメディアは、どうしても、「正義の味方」として、「悪者」を吊(つる)し上げようとする傾向があります。子宮頸がん予防ワクチンは、まさに「悪者」であり、「善悪二元論」の中で、その利益を語ることすら許容されない雰囲気になっています。

 以前、「エビデンスの格付け」(6月13日付)で書いたように、エビデンスには格付け(「星なし」~「3つ星」)があるのですが、マスメディアは「3つ星エビデンス」があってもそれを伝えようとはせず、星の数はお構いなしで、とにかくセンセーショナルな(感情を煽(あお)るような)情報を伝える傾向があります。足をバタつかせる女の子の映像は、エビデンスレベルは高くないのですが、「悪者」の「おそろしさ」を伝えるのにはうってつけの「衝撃映像」だったため、各局が繰り返し放送しました。

 「悪者」を吊し上げるために、言葉遣いもセンセーショナルになります。最近のある週刊誌には、「戦後最大の薬害事件」という見出しが載っていました。ある薬が「悪者」にされるとき、その薬の「副作用」は、なぜか「薬害」と呼ばれます。副作用が相次げば、それは、「薬害事件」となり、「犯人」が「糾弾」されます。



エビデンスに基づき冷静に考える

 「クリニカルクエスチョン」は、国民一人一人が冷静に考えるべきものですが、マスメディアが報道すると、それは「社会問題」となり、人々は、「善悪二元論」と「センセーショナリズム」の渦に巻き込まれて、冷静さを失ってしまいがちです。「道案内役」になるべきマスメディアが、人々を道に迷わせてしまっているのではないか、という気もします。

 これまで、「クリニカルクエスチョン」が「社会問題」となった例はたくさんありますが、何度も何度も同じことが繰り返されている気がします。「悪者」が吊し上げられて、社会的に葬られて、それでおしまい、です。

 この歴史の中で、国民は何を学んで来たのでしょうか?

 失ってしまったものはないでしょうか?

 次のクリニカルクエスチョンに直面した時、国民は、自分の力でそれに答えを出すことができるでしょうか?

 私は、今回の子宮頸がん予防ワクチンのようなクリニカルクエスチョンが生じたときこそ、国民全体で「リスク-ベネフィットバランス」や「エビデンスの格付け」を考える、絶好のチャンスなのだと思っています。

 「子宮頸がんワクチンを接種したほうがよいか?」という問いに答えを出すことなく、字数が尽きてしまいました。次回への宿題ということでご容赦ください。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)
腫瘍内科医。東京生まれの神奈川育ち。1998年東京大学医学部卒。2010年より虎の門病院臨床腫瘍科部長。国立がん研究センター中央病院、東京共済病院などで、抗がん剤治療を専門に手がけてきた。がん薬物療法専門医会代表も務める。

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