文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

これからの人生

yomiDr.記事アーカイブ

[伊藤礼さん]農作業 失敗も楽しみ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック
自宅の「農場」でナスの様子を確かめる伊藤さん。「やっぱり畑に出るのは楽しいから続けることができます」(東京都杉並区で)=藤原健撮影

 東京都杉並区の住宅街に自宅がある。その居間から、4筋の畝の延びた畑が見える。真夏の今、ナスや枝豆、トマトなどの葉色が鮮やかだ。

 「オクラは目を離すと、すぐに大きくなってしまって」「小ぶりな枝豆しかならず、なかなかうまくいかないもんです」。畑に立つと、自ら育てている野菜について、うれしそうに解説してくれた。

 ただ、よく見ると雑草が生えている所も目立ち、中には虫食いだらけの葉でちょっと元気のない野菜も。それを指摘すると、「無農薬栽培で、病気や害虫に弱いんです」とちょっと困った顔で、雑草や枯れかけた葉を取り除いた。周囲を家に囲まれており、日当たりがあまり良くないことも影響しているようだ。

 「素人農場で、全てが手探り」という畑の広さは約40平方メートル。飼い犬の遊び場だった庭で野菜栽培を始めてから10年ほどになる。英語を教えていた大学を定年退職し、時間ができたころで、庭を活用して手軽にできる趣味にしようと始めた。「野菜作りが面白いのは勝手にきれいに実ったり、勝手に虫だらけになったりするところ」。もちろん、収穫した野菜は食べる。「特に枝豆は甘くてうまいですよ」

 あくまで趣味なので自分なりに取り組めることが楽しい。数年前、ホームセンターで一目ぼれし、小型耕運機を購入した。混合ガソリンを入れ、エンジンをかける。近所迷惑にならないような午後、エンジンの大きな音が響くとうっとりする。「こんな小さな畑には必要ないと思われるかもしれません。でも、耕運機のメカニックな魅力にひかれたようです」

 もっとも、畑仕事は楽しいことばかりではない。種まきや雑草取り、脇芽かきなど手間がかかる。中腰の姿勢で行わなければならない作業も多い。夏は日差しが強くて、何もしたくない。「80歳になると、作業がなかなか進まなくて」。畑を上手に耕せず、教え子に助けを求めたことも。

 どうしてこんな大変なことに夢中になっているのか、自問自答すると、戦争中の父の姿が思い浮かぶという。

 父親は「日本文壇史」などをまとめた、文学者の伊藤整。街から食料や物資がなくなった1944年ごろ、靴を買いにでかけた父は、靴の代わりに、針金や(くぎ)、さらに野球のグラブを持ち帰ってきた。「いざとなれば、これで靴を作れる」とつぶやいたという。

 父は食べ物の足しにと畑も耕していて、サツマイモやトウモロコシ、小麦などを育てていた。「私も父と同じで、北海道に入植した屯田兵のように、自給自足の思想があるんです。物があふれている時代でも変わらないんですね」

 父の思想を受け継ぎ、野菜だけではなく、綿花の栽培に取り組んだことも。採れた綿で手袋を作ろうと考えたためだ。ところが「10粒種をまいて芽が出たのが二つ。次の年は一つだけで、これじゃ手袋にならないと諦めました」

 ただ、失敗してもへこたれない。「来年があるさ、と思うから続けられる」。何が原因だったのか考えて、対策を翌年試してみる。うまくいけばそれでいい。失敗しても、「それでも来年がある。そうやって毎年毎年続けてきたんです」。体験を考察して、成果をエッセーにまとめている。

 「今が一番若い」が口癖だ。「何を始めるのにも遅いということはないんです」。問題は、畑が狭くなってきて新品種を新たに育てづらくなったこと。「新しい品種を育ててみたい。この気持ちだけは、なかなか抑えることができないんですよね」とほほ笑んだ。(崎長敬志)

 いとう・れい エッセイスト。1933年、東京都生まれ。2002年まで日本大学芸術学部教授を務める。70歳を前に乗り始めた自転車の体験をまとめたエッセー集「こぐこぐ自転車」(平凡社)などを出版。近著に「耕せど耕せど 久我山農場物語」(東海教育研究所)。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

これからの人生の一覧を見る

最新記事