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国民皆保険・皆年金(11)戦後の国民健康保険法

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 太平洋戦争(1941年~1945年)の敗戦を受け、被用者(雇われて働いている人)を対象とした健康保険制度も、被用者以外の農民などを対象とした国民健康保険(国保)制度も、壊滅的な打撃を受けました。しかし、終戦直後に起きた急激なインフレなどに悩まされながらも、制度の立て直しが図られていきました。今回は、戦後の国民健康保険法について見ていきたいと思います。



原則市町村が運営

 国保再建のために行われたのが、1948年(昭和23年)の法改正です。国保の運営は、それまで国保組合が行っていましたが、改正により、原則として市町村が担うことが決まりました(「市町村公営化の原則」と呼ばれます)。国保の業務は市町村行政と関係が深いので、市町村に任せた方がよいと考えられたことなどがその理由です。運営するかどうかは市町村の判断に任されましたが、その市町村が実施した場合、住民は原則として強制的に加入することになりました。

 運営を行う市町村が増えるにつれ、各地に医療施設が設立され、受診率は向上しました。一方、保険料の上昇は農家の家計などを圧迫したため、保険料の収納率はなかなか上がりませんでした。そのため、保険財政は危機的な状況になっていきました。



「国民健康保険税」の創設

 そこで、保険料の収納率を上げるために、1951年(昭和26年)に地方税法が改正され、「国民健康保険税(国保税)」が創設されました。市町村は、従来ある「国民健康保険料」に代わって、国保税を導入してもよいとされたのです。

 あれっ、保険料で行う制度(社会保険方式)と、税金で行う制度(税方式)は違うのではなかったっけ? 社会保険方式では、保険料を負担することが給付の条件となるのに対し、税方式はそうした関係性はなく、両者の負担と給付の関係性は異なるのではなかったっけ? と思われた方もいると思います。国保税は、確かに税金ではありますが、使い道を限定した目的税の一種とされたため、実質的には、保険料とほぼ変わりません。

 なぜ国保税を創設したのかといえば、当時の国民感情として、保険料に比べて税金の方が、納付義務意識が強いと考えられたからです。税金にすれば徴収率が上がり、ひいては保険財政もよくなることを期待して、市町村が導入を求めたのです。制度創設に携わった厚生省(当時)の担当者は、国保税といっても実質的には保険料と変わらず、市町村からの要望を受けた一時的な措置のため、10年ぐらいたったら保険料の本来の姿に戻したいと考えていたようです。ですが、実際にはこの措置はなくならず、現在でも「国保税」として費用を徴収している市町村は9割以上に上っています。ただし、大都市部では保険料を採用しているところが多いので、加入者数で見ると5割近くが保険料となっています。



税金を投入

 国保税が導入されて、保険料収納率はアップしても、残念なことに、財政問題を解決するまでには至りませんでした。国保が普及すればするほど、受診率は向上したからです。その結果、多くの市町村が赤字を抱えることとなりました。

 保険財政の苦しさを救うために税金を投入せよという声が強まり、これを受けて、事務費だけでなく、医療サービスの提供にかかった費用に対して国の税金を投入すること(医療給付費の2割相当分)が、1955年(昭和30年)に法律で定められました。

 国の税金が入ることによって、国保の財政状況は次第に改善していきました。国保の運営者を原則市町村としたことと、国の税金の投入を認めたことは、国保再建への大きなきっかけになったといわれています。次回も引き続き、国民健康保険制度について見ていきたいと思います。

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inokuma

猪熊律子(いのくま・りつこ)
読売新聞東京本社社会保障部デスク。 1985年、読売新聞社に入社。地方部、生活情報部などを経て、2000年から社会保障部に在籍。1998~99年、フルブライト奨学生兼読売新聞海外留学生として、米スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「ジョン・エス・ナイト・フェローシップ」に留学。2009年、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了(社会保障法)。好きな物:ワイン、映画、旅、歌など。著書に「社会保障のグランドデザイン~記者の眼でとらえた『生活保障』構築への新たな視点」(中央法規)など。

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