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一緒に学ぼう 社会保障のABC

yomiDr.記事アーカイブ

国民皆保険・皆年金(9)医療保険の歴史

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 国民皆年金が実現するまでの歴史やその内容について見てきたので、今度は、国民皆保険について見ていきたいと思います。



ドイツを参考に

 日本の医療保険の始まりは、1922年(大正11年)に制定された健康保険法です。工場などで働く肉体労働者(ブルーカラー)が対象で、ドイツの疾病保険(医療保険)を参考に作られました。

 当時、日本では第一次世界大戦(1914年~1918年)後の不況で、工場の閉鎖や中小企業の倒産などが相次ぎ、賃下げや首切りに抗議する労働争議が多発していました。政府は、労働組合や労働運動を厳しく取り締まりました。しかし、資本主義経済を発展させるためには、取り締まるだけではなく、悪化した労使関係を改善し、労働者を保護することも重要だと考えて、健康保険制度の創設に踏み切ったのです。

 企業などで働く事務労働者(ホワイトカラー)を対象とした医療保険制度は、1939年(昭和14年)の職員健康保険法により導入され、その後、1942年(昭和17年)に、健康保険法に統合・一本化されました。

 なお、1922年に制定された健康保険法は、日本で初めての社会保険制度としても知られています。



農村にも医療を

 被用者(雇われて働いている人)を対象とした医療保険制度はできましたが、それ以外の国民、特に農民の医療をどうするかは大きな問題でした。1929年(昭和4年)の世界恐慌や、1931年(昭和6年)の日本での大凶作などの影響で、農村は極度に疲弊し、農民の生活が悲惨なものになっていたからです。

 病気になっても近くに医療機関がない、あるいは、医療費を払えないために医者にかかることができない――。貧しいために食事を抜く欠食児童が続出し、治療費を捻出するために、若い娘が「身売り」を強いられることも珍しくありませんでした。十分な食事や栄養が取れず、病気にかかる人も多く、特に農村部では、結核や寄生虫病などの病気が目立ちました。「農村は兵隊の供給源」と言われていましたが、農民の体力は低下する一方でした。

 農村における貧困と病気の連鎖を断ち切り、その窮状を救うために、政府は1933年(昭和8年)頃から、農山漁村の住民などを対象とした医療保険制度創設についての研究を始めました。いろいろ検討した結果、この制度の運営者は、現在あるような市町村ではなく、市町村の区域ごとに設立される組合(国民健康保険組合)とし、組合の設立や住民の加入は任意としました。また、給付の種類や範囲、保険料の額などは、各組合で決められるようにしました。

 国民健康保険法は1938年(昭和13年)4月に公布され、7月から施行されました。



皆保険の足掛かりに

 ドイツを参考に制度を創設することができた健康保険法とは異なり、国民全体の約6割を占める農山漁村の住民を対象とした制度はどのように作ればよいのか、政府は、頭を悩ませました。幾つかの組合で先行実施させ、その結果を見て、できるだけ組合の自主性が発揮できるような柔軟な制度にしたのです。

 こうして誕生した国民健康保険法は、1961年(昭和36年)に実現した「国民皆保険」体制の足掛かりになったともいえます。

 次回も引き続き、国民健康保険法について見ていきたいと思います。

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inokuma

猪熊律子(いのくま・りつこ)
読売新聞東京本社社会保障部デスク。 1985年、読売新聞社に入社。地方部、生活情報部などを経て、2000年から社会保障部に在籍。1998~99年、フルブライト奨学生兼読売新聞海外留学生として、米スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「ジョン・エス・ナイト・フェローシップ」に留学。2009年、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了(社会保障法)。好きな物:ワイン、映画、旅、歌など。著書に「社会保障のグランドデザイン~記者の眼でとらえた『生活保障』構築への新たな視点」(中央法規)など。

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