文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

これからの人生

yomiDr.記事アーカイブ

[三上寛さん]詩学校 創作の先を求めて

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック
詩の創作は必ず、原稿用紙に手書きする。「規則正しくマス目が並んでいると、集中しやすいんです」(千葉県船橋市で)=中村光一撮影

 「花」「雪」「海」……。ひとりひとりに違ったテーマを与え、原稿用紙に詩を書かせる。

 生徒たちは真剣な表情で鉛筆を走らせ、消しゴムで消し、書き直す。1時間ほどで出来上がった詩を、順番に添削していく。

 「それぞれ個性も詩作の経験も違うので、指導も一対一でやる。ライブを3回やるくらい疲れるけれど、上達していく姿を見るのは楽しいですね」

 「三上寛 詩学校」は、東京や大阪で月1、2回、カフェや小料理店を借りて開いている詩の創作塾だ。

 知人の勧めで1990年に始めた。1回2時間の授業で、3500~5000円。丁寧な指導が好評で、サラリーマンや主婦、学生など毎回5~10人が集まる。

 授業後、生徒たちと酒を酌み交わすこともある。詩を通じて様々な人とかかわることができるのは、創作とはまた違った喜びだ。

 現在の青森県五所川原市で生まれ、高校を出て上京。独学で覚えたギターを弾きながら、ライブハウスで歌っているところを見いだされ、21歳でフォーク歌手としてデビューした。

 悲しみや恨みを主題にした独特の音楽性で、注目を集めた。20歳代半ばからは、「新仁義なき戦い 組長の首」などの映画やテレビドラマに出演し、俳優としても地位を確立。63歳となった今も、根強い人気を誇り、月に10回ほどのライブと、年1本ほどのペースで映画出演をこなしている。

 だが、歌手や俳優になることがもともとの目的ではなかった。「一流の出版社から現代詩の詩集を出したいと思っていた」からだ。

 高校時代、同じ青森県出身の詩人・寺山修司に傾倒。地元で活躍する詩人に頼み込んで、詩の書き方を教わった。研ぎ澄まされた言葉で、読む者の心をえぐる。「詩人って、格好いいなあ」と魅了され、生徒会室にあったガリ版で、詩集を自主制作して配った。歌手や俳優として人気を得てからも、詩へのこだわりは続いた。

 作詞もするが「『詞』と『詩』は全く違う」という。「詞は、曲や演奏との組み合わせで作品になる。でも詩は、書いたものしかない。原稿用紙に向かい、『さあ、やるぞ』と気持ちを込め、時間をかけないと作れない」

 忙しい合間を縫って、79年に処女詩集「お父さんが見た海」(思潮社)を出版。90年に詩学校を始め、93年に第2詩集を発表した。

 詩学校で教えた生徒は、もう200人を超えた。詩集を出した人や翻訳家になった人もいる。うつ病気味だった生徒は、上達とともに表情が明るくなっていった。「多くの生徒が生きることに前向きになり、女の子はどんどんきれいになっていくから、不思議だね」

 詩を書くことで自分の内面とじっくりと向き合い、生きる意味を知る――。詩学校には、創作技術を学ぶだけではない力があることを実感し、体力の続く限り続けたいと思う。第3詩集の刊行も忘れてはいない。

 もう一つ、夢がある。「故郷に詩の創作を専門に教える大学を作りたい」。海や山に囲まれ、冬は雪に閉ざされる津軽地方は、詩を書く感性や集中力を養うのに最適だと思うからだ。

 「小さな飛行場を併設して、世界中の詩人が集う場にしたいね」。少し照れながら、笑った。(安田武晴)

 みかみ・かん フォーク歌手、俳優。1950年生まれ。71年に「馬鹿ぶし」でレコードデビュー。俳優としてテレビドラマ「大都会PART2」、映画「戦場のメリークリスマス」などに出演。詩やエッセーなどの著書も多数。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

これからの人生の一覧を見る

最新記事