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[冨士眞奈美さん]17文字に心情 自分を整理
<そば掻きは生醤油がよし酒二合>
好物のそばがきをあてに、日本酒をちびりちびり。なんて幸せ。「やっぱり、人間は自由じゃなくちゃ」という思いがこみあげた。
40歳代半ば、10年間の結婚生活に終止符を打った。「相手」と呼ぶ人と暮らしていた間、女優の仕事をはじめ、熱烈なファンだったプロ野球やオペラ、少したしなんでいた俳句など、いろいろなものから遠ざかった。待望の娘を授かり、育てたかけがえのない時ではあったものの、相手の顔色をうかがい、自由のない日々は、いつしか心の中に鬱屈を育てていた。
「再独身になった時の解放感」は忘れられない。10年ぶりに句会に参加して詠んだのが冒頭の句だ。それから本格的に取り組み、俳句にまつわる本や句集も出した。2008年からは、俳人の登竜門である「俳壇賞」の選考委員も務める。
「俳句って、わずか17文字の中に、その人の人生、価値観が表れる。少し怖いけれど、とても面白い表現方法だと思います」
静岡県三島市に近い村で、地方紙記者の父と専業主婦の母の間の三女として生まれた。当時としてはモダンな眞奈美という名は、父が好きだった万葉集の短歌からとったという。家には読み切れないほど本があり、日常の中に「五七五」が息づいていた。
高校卒業後にNHKのオーディションを受け、連続ドラマ「この瞳」の主役を射止めた。日本人離れした彫りの深い美貌で、清純派として人気を博した。30歳代の初め、主人公をいびる小姑役を演じた「細うで繁盛記」が大ヒット。仕事に明け暮れていた30歳代半ば、先輩女優の山岡久乃さんの「女性は子どもを持つか持たないか、ちゃんと考えたほうがいい」との忠告で、にわかに結婚を意識した。その頃、身近にいたのが結婚した相手だった。
「当時は、『最終バスに乗らなきゃ』って思ったのね。慌ててバスに駆け込まず、悠々と歩いていれば、違った出会いがあったかもしれないのに」
それでも、結婚生活はメリットもあった。娘が生まれ、規則正しい暮らしが身に着いた。エッセー執筆など、家での仕事も増え、深酒することもなくなった。「ずっと独身だったら肝臓を悪くして死んでいたかも。私の人生、悪くないじゃない?と思うの」
〈母の鼻高し夜寒の棺の窓〉
2000年、母が亡くなった。親友だった小林千登勢さん、岸田今日子さん、長姉も逝った。
千登勢さんと姉からは、「俳句を教えて」と頼まれていた。千登勢さんの病室の枕元には歳時記と真っさらな句帳があったという。
「俳句を作ると、自分を整理できるんです。千登勢や姉もそうしたかったんじゃないかしら。私も、俳句を作る時ほど、自分について、そして他人について、考えることはないと思う」
今は、俳句の仕事も多い。吉行和子さんやねじめ正一さんら句友と一緒に番組に出演したり、原稿を書いたり。句会が、俳優の仕事でプレッシャーがかかる時の気分転換になることもある。
「俳句は、自分の喜怒哀楽を表現するのに、一番合った方法。どんなに昔のことでも、句を見ればその時の情景が浮かぶ。様々な思いも昇華できる。自分の人生に俳句があってよかった、と思います」(針原陽子)
ふじ・まなみ 女優。静岡県生まれ。NHK専属女優となり、「この瞳」(1956年)でデビュー。俳優座養成所卒。「細うで繁盛記」「ハゲタカ」など多数のドラマや映画、舞台に出演。著書に「身ひとつの今が倖せ」「てのひらに落花」「句集 瀧の裏」など。
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