がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム
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マスメディアの情報
「ココアを飲んで、血液サラサラ、体にいい!」
かつて、昼のテレビ番組で、みのもんたさんが、そんなふうに「ズバッ」と言い切って、ココアの売り切れが相次いだという話がありました。
(※ココアが体にいい理由として、実際にみのもんたさんが語ったのが「血液サラサラ」だったのかどうか、私には調べられませんでしたが、この部分が「腸がスッキリ」であっても、「血圧下がって」であっても、以下の説明は同様です。)
「血液サラサラ」の根拠は?
ココアを飲むと血液がサラサラになるという科学的な根拠は?
「血液がサラサラ」というのはどういうこと? それが本当にいいことなの?
そもそも、「体にいい」ってどういうこと? それは実感できるの? あるいは、実証できるの?
ココアを飲むことで「体に悪い」ことだってあるんじゃないの?
コーヒーではなくココアを飲む方が幸せになれるということ?
ココアが好きではない人も、がんばって飲んだ方がよいの?
私には、いろんな疑問が浮かびますが、みのもんたさんの言葉を聞いて、そんなことを考える人はあまりいなかったのでしょう。でも、「エビデンスに基づく医療(EBM)」では、そういうことにこだわります。
「昨日、みのもんたがこう言ってたから、早速飲んでます」
患者さんからそう言われて、上に書いたようなことを問いかけたりしたら、「そんな、わけのわからないこと言ってないで、先生も飲めばいいのに。体にいいんだから」と言われそうです。
「だから、『体にいい』って具体的にどういうことなんですか?」なんて問い詰めたら、患者さんの信用を失うだけでしょう。
「お医者様」に代わり信頼を得ている存在
医者が「お医者様」と呼ばれていた「医療過信」の時代が終わり、その反動もあって「医療不信」の時代になっているということを、前回書きました。
この時代に、「お医者様」に代わって、患者さんの信頼を得ている存在――。それは、みのもんたさんに象徴される、「マスメディア」です。
マスメディアというのは、不特定多数へ情報を伝達する、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットなどのメディア(媒体)ことです。こうやって私がブログを書いているのも、(信頼を得ているかどうかはともかく)「マスメディア」の一形態ということになります。
マスメディアが信頼を得た理由の一つは、「わかりやすさ」だと思います。
たしかに、みのもんたさんの言葉は、ズバッとしていて、すんなりと理解できます。世の中が複雑になればなるほど、こういう、ズバッとしたわかりやすさが求められるようになるのかもしれません。
ある大手放送局の医療担当ディレクターから、こんな言葉を聞いたことがあります。
「グレーな情報を、白黒はっきり切り分けて、これは白でこれは黒だと、視聴者に提示するのが私たちの仕事です」
「善悪二元論」と「センセーショナリズム」
この言葉は、現在のマスメディアの姿勢をよく表していると思います。その背景にあるキーワードは、「善悪二元論」と、「センセーショナリズム」です。
「善悪二元論」というのは、世の中は、すべて、白(善)と黒(悪)に分けることができるという考え方です。それが本当なら、桃太郎が鬼を退治して、それでめでたしめでたしなのですが、現実はそんなに単純化できるものではありません。複雑で不確実な医療を理解するのに、善悪二元論の考え方は、むしろ妨げとなります。
「センセーショナリズム」というのは、わざと刺激的な表現を使って、人々の感情を煽りたて、注目を引こうとする手法のことです。バランスのとれた中庸な情報よりも、多少極端でも刺激の強い情報を流す方が、視聴者や読者の関心が高まり、視聴率や雑誌の売れ行きもよくなります。受け手側も、そういう刺激を求めているのかもしれません。
これらを象徴する出来事が、「イレッサ問題」です。
肺がんに対する新薬である「イレッサ」が、世界に先駆けて日本で承認されたとき、マスメディアの多くは、「夢の新薬」としてはやし立て、その後、副作用による死亡が相次いで報告されると、一転、「悪魔の毒薬」であるかのように報道しました。
いずれも、「善悪二元論」と「センセーショナリズム」に基づく、バランスを欠いた報道で、医療現場には、混乱だけがもたらされました。
(※イレッサをめぐる一連の経緯と、そこから得るべき教訓については改めて取り上げたいと思っています。)
マスメディアは、私たちが生活していくのに不可欠な存在ですが、「わかりやすさ」を重視するあまり、「善悪二元論」「センセーショナリズム」に走る傾向があり、私たちの正しい判断を妨げる可能性もあるわけです。
マスメディアをうまく活用しつつ、その情報を正しく見極めるにはどうしたらよいのか、次回も、もう少し考えてみたいと思います。
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