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[小山内美江子さん]カンボジア駆ける「金八先生」

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「学校づくりの活動を脚本に生かしたことはないです。カンボジアについて知りすぎて、あれこれ書きたくなっちゃうから」(東京都港区のJHP・学校をつくる会東京事務所で)=米山要撮影

 「もう83歳。自分の店じまいをしなきゃいけないんだけど」

 と言いつつ、認定NPO法人「JHP・学校をつくる会」(事務所・東京、プノンペン)の代表理事として、日本とカンボジアを駆け回る日々だ。

 今年は、会発足20周年。9月にはカンボジアに300校目の学校の校舎ができる。

 「400校目が建つ時、私はいないでしょうね。今が『華』なので、頑張りますよ」と笑う。

 脚本家としての代表作は、テレビドラマ「3年B組金八先生」。1979年~80年放送の第1シリーズで、武田鉄矢さん演じる金八先生が、「君たちは受験戦争と言うけれど、どこから弾丸が飛んでくる? 今この瞬間、命を落としている少年がいるということを知ってほしい」と生徒に語りかけた。

 当時、カンボジアではポル・ポト政権が崩壊し、内戦が繰り広げられていた。平和な日本の子どもたちに、戦争の悲惨さを知ってほしい。その思いがセリフになった。

 「私も、空襲で自分の家が焼かれ、逃げ回ったから、カンボジアのことを静観できなかったのね」

 このシーンは評価を得たものの、カンボジアで苦しんでいる人々のことを考えると、脚本料がもらえることに後ろめたさがあった。「だから、仕事が片付いたら、カンボジアに行こうと決めたのよ」

 大河ドラマ「()ぶが(ごと)く」の脚本を書き終え、母をみとったのが90年、60歳の時。この年が転機となった。友人らとヨルダン難民キャンプで食料の配給などのボランティアを体験。91年、カンボジア・タイ国境の難民キャンプを視察し、翌年には、国連によるカンボジア難民帰還事業の手伝いとして、子どもと遊んだり、炊事を担当したりした。

 「この活動中、子どもがカバンを背負って登校する風景がないと気付いたんです」。学校を整備する必要性を感じた。

 93年、現在の「学校をつくる会」の前身となる任意団体「カンボジアのこどもに学校をつくる会」を設立。同年12月、最初の小学校が完成した。現在、会員は1000人弱。寄付を主な資金に、学校づくりに取り組んでいる。

 2002年からは、児童養護施設も運営する。「1日3食ご飯が食べられることを喜んで、ちゃんと勉強するの。その姿が泣けてね」。ゴミの山で拾った物を売っていた少年が、同施設への入居をきっかけに勉強に励み、シンガポールの高校から奨学生として選ばれるなど、手応えを感じている。

 年2回、公募で集まった大学生を中心としたボランティアをカンボジアに連れて行く。主な仕事は、学校の校庭でのブランコづくり。「クギ打ちを指示したら指を打ったり、クギが抜けないと騒いだり、困ったものねえ」と言いながら、その表情はうれしそう。「色々口うるさく指導して、まさに『女金八先生』ですよ」(山村翠)

 おさない・みえこ 脚本家。1930年、横浜市生まれ。映画製作に携わった後、62年以降、脚本を執筆。代表作に、NHKの大河ドラマ「徳川家康」など。2003年、文化庁から文化交流使に指名される。近著に「我が人生、筋書き無し」(かまくら春秋社)。

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