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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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腫瘍内科医への道

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 今回は、私の医師としての歩み(紆余曲折)を書きたいと思います。

 私が医学部を卒業した1998年当時、「腫瘍内科」という言葉は、ほとんど知られていませんでした。私自身は、大学5年生のとき、当時国立がんセンターの総長であった阿部薫先生から、その言葉を初めて聞き、自分の目指す道はこれだと思いましたが、その頃は、腫瘍内科医を目指そうにも、そんな道はどこにも見つからない状況でした。

道なき道を行く

 腫瘍内科への夢を抱きつつ、大学病院の内科で1年間研修し、2年目に放射線科の研修医となりました。いろいろな種類のがんを扱い、病棟や外来で抗癌剤治療も行っていて、内科よりも「腫瘍内科」的であったというのが、放射線科を選んだ理由ですが、いずれにしても、「腫瘍内科」という道がない中での苦肉の策でした。

 3年目で一般病院の呼吸器科に赴任し、肺がんの診療を行いながら、乳腺外科とともに、乳がんの診療にも取り組みました。理解ある指導医のおかげで、診療科の枠組みを超えて、「腫瘍内科」的なことに取り組むことができました。

 この頃は、「自称腫瘍内科医」として、道なき道を進んできたわけですが、進めば進むほどに、系統立ったトレーニングを受ける必要性を感じるようになり、5年目の時に、国立がんセンターの内科レジデントとなりました。3年間レジデントとして過ごす中で、腫瘍内科医としての基礎を学び、臨床研究にも携わり、同じ志を持つ指導医や仲間と、腫瘍内科の未来を語り合うことができました。

3つの病院で実践

 その後、私は、3つの病院で腫瘍内科の立ち上げに携わりました。

 まず、かつて呼吸器科に所属していた病院に戻り、「腫瘍内科」という新しい科を作ってもらいました。ようやく、「腫瘍内科」の認知度が上がってきた頃で、腫瘍内科医として働ける喜びはありましたが、スタッフは私1人だけで、臨床研究の余裕もなく、教育する若手医師もおらず、一人でやることの限界を感じました。

 2008年になって、帝京大学に腫瘍内科ができ、私もその立ち上げに加わりました。縦割りの枠組みが根強くある大学病院に、横断的な新しい科を作ることの難しさをも感じましたが、診療のみならず、臨床研究や教育にも幅広く取り組むことができ、新たな道が拓けた気がしました。

 そして2010年4月、虎の門病院に赴任し、3つ目の腫瘍内科を立ち上げました。これまでの経験と反省を活かし、一般病院における腫瘍内科のモデルとなることを目指して、日々取り組んでいます。

 腫瘍内科という言葉もないところから歩み始め、先の見えない中を手探りで進んできたわけですが、最近になって、ようやく、視界は開けてきたように思います。ただ、目の前にまっすぐな道が用意されているわけではなく、これからも、試行錯誤しながら、道を切り拓いていく必要がありそうです。

 素晴らしい指導医や仲間に恵まれたおかげで、幾多の壁にぶつかりながらも、なんとかここまで歩んでくることができました。そして、これまでに出会った数多くの患者さんたちからも、たくさんのことを学ばせてもらい、それが、日々の診療、研究、教育に取り組む最大のモチベーションになっています。多くの方々の支えられていることに感謝しつつ、これからも一歩一歩、進んで行きたいと思っています。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)
腫瘍内科医。東京生まれの神奈川育ち。1998年東京大学医学部卒。2010年より虎の門病院臨床腫瘍科部長。国立がん研究センター中央病院、東京共済病院などで、抗がん剤治療を専門に手がけてきた。がん薬物療法専門医会代表も務める。

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