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自分の命の責任は自分で負うしかない

現場主義

 医者達が病気を治すことについて日々研鑽を積んでいる一方で、ピンピンコロリが理想だと説く患者達が出会う場所。それが病院です。医療者側からみると意識もなく胃ろうで生命を維持している人たちを治療に仕向けているのは医者ではなく家族であることがとても多いと思います。
どういう生き方、逝き方を臨むかは人それぞれだと思いますが、本人の代わりになって意思表明をするはずの家族が、決断できずにいるのです。家族が真剣に「生きていて欲しい」という願いは嘘偽りなく純粋なものだと思いますし、家族とは言え自分の考えを本人に押し付けてしまってよいものか解らないという状況から抜け出せないのだと思います。
 「もう充分です」と言って医療から距離をとるためには、それなりの覚悟が必要です。家族は充分に家族としての役割を果たしたと思えないときに、延命を図ることで自分たちの責任を果たしたかのように責任を転嫁することが多々あります。無責任のようにも映りますが、本人の意向がわからなければ無理もないことだと思います。
 患者の権利として自己決定権が認められるようになった今、自分の命の責任は自分で負う必要があると思うのです。しかし、そういったフォーマットは尊厳死協会の延命治療は拒否するという抽象的なものしかありません。そうではなくてもっと具体的に自分の最期を指定できるフォーマットが必要なのではないでしょうか?
 人の最期はどうあるべきかと言う問題は正解があるわけではなく人それぞれだと思います。それぞれの思いを具現化する手段がないために現場が混乱しているのだと思います。
 各自が自分の問題として答えを用意する必要があると思うし、家族はその意向にそって本人を支えてあげることが本来の姿だと思います。

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必要以上に生きるのは幸か不幸か。

うたたね

私は今63歳です、自分の考えでは男子の健康寿命は75歳ぐらいと思いますが、ボケたり寝たきりで長生きはごめんです。しかし思いどうりにはいかないことも承知しております。看護介護も期日限定ならば多くの人は出来るでしょうが半年が一年、一年が二年、二年が三年・・・十年も続く場合も少なくありません、当事者にしか判らない辛苦です、人間らしく生きるということは自分の日々の始末が出来ることが基本であって、個人の経歴、財産、家族構成にもよりますが、動物のように最後は自然にもどるように静かに去りたいものですが、人間は悲しくもわけにはいきません。最悪な共倒れは悲惨の極みだとおもいませんか、 私は本人の意思表示が出来る場合と、不可でも家族の熟慮同意があれば安楽死も有りだと思います。迷いの中での判断は避けるべきで、確認は間を置き三回は必要か思います、
このような話を会社の産業医の先生に面談の時に話しましたところ、先生は否定も肯定もなく、あなたが75歳になったとき同じ気持ちであるか否かが答えですと、私は同じと思いますが、先生は明日のことも判らないのになんで十年以上の先のことがと・・・・・あるがままにとのことでしょうか??自問自答が続き進行中です。妻と娘は、酒もタバコも多いので近日中だと。

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義弟が自殺しました

くう

なんの前触れもなく、20代で夫の弟が絞首自殺をしました。両親は末期がんで死にました。「死」というものに無頓着だった自分でしたがいつでも死がすぐ傍にあるのだと思うようになりました。日本の療養病院では、寝たきりの胃ろう老人をたくさんみかけます。意思も発せないのに栄養状態はいいものだから長い方で10年以上、ケアを受けながら入院しています。「死」を考えることは「生」を考えることなのだと今思います。医師は「なんとか生かしたい」と一生懸命考えてくれていることはわかります。でも「どう活きたいか」はそれぞれなのではないかと感じています。医療分野で働いている自分自身にも言えることですが医療は人を「生かす」ことができても「活かす」ことはできません。人の命は限られています。最善の医療が最善の生きがいにはならないことを医療従事者はもう少し知るべきではないかと感じます。いずれ誰でも死にます。自分はもう死にたいと思って逝ってしまった弟と、もっと生きたいと思いながら逝ってしまった両親と、どちらが「幸せ」だったのでしょうか?(生きたいと望んだ両親は緩和ケア病院にいました、今の医療では対応できませんでした。好きな食べ物を食べることも医師から反対されできませんでした。)「死」を当然のものとして受け入れたうえでの医療が成り立つことを願います。

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父は、自殺した

私の父は、自殺しました。家族を全て家から追い出し、そして仏壇の前で首を吊り、死にました。母が早く帰り、首吊りから横に寝かせました。その後子供である私や兄弟が帰り、寝床の中の父が死んでいることを知りました。私が5歳の時で、60年前です。戦後の混乱時でもあった。
父は、胃がんで手術を2回し、治らなかった。財産をかなり使いました。将来の家族を考えての決断だと思います。
自分自身及び家族のことを考えての決断なら、許されるのではないか、あくまでも個人の判断で許されるのではないかと、最近考えるようになりました。
私の脳裏から、父の自殺が消えてなくなることはありません。父がいなかったために小学校、中学校と寂しい思いをしました。社会人になって初めて、寂しさから逃れることを知りました。結婚しましたが、女房には、黙っています。子供にも黙っています。
しかし今自分も自殺するかもしれないと思うようになりました。病気ほかの苦しみから逃れるために許されるのではないかと思い始めました。その時は、父と同じくひっそりと知られることなく死にたいと思っています。

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