認知症 明日へ
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[続・本人の思い]生きる道模索 一歩一歩
認知症の人の生き方や、彼らを支える活動を通じて「認知症の明日」を考える年間企画が2年目を迎えた。本人や家族は、どのような1年を過ごしてきたのだろうか。「思い」を聞きに、彼らを再訪した。
空手や農作業、友との出会い
ぬかるんだ山道に登山者のかけ声が響く。アルツハイマー型認知症の足立昭一さん(64)が、妻の由美子さん(54)や仲間に手をひかれ、岩だらけの難所を汗だくで一歩一歩登っていった。
福岡県大牟田市の三池山(標高388メートル)。65歳未満で発症する「若年性認知症」啓発のため、3月に同市などが主催したイベントだ。大分市に住む足立さんのほか、地元や首都圏から10人の当事者が招かれ、市民や福祉関係者ら150人が参加した。
「いつもウオーキングをしているから、きつくはなかったですよ」。山頂で話す足立さんを、笑顔の由美子さんが見つめた。
足立さんは大分市役所の管理職だった。2005年頃から物忘れが目立ち、06年に認知症と診断された。翌年、58歳で早期退職した。
面倒見が良い、根っからの仕事人間。仕事を失い、「生きていてもしょうがない」という思いに駆られたが、ウオーキングをきっかけに気持ちが落ち着き、生きる道を模索し始めた。
11年には、通っているデイサービスの活動として野菜の販売を始めた。職員と一緒に野菜を売り、500円の謝礼を受け取る。「働きたい」という思いを支える活動は今も続いている。
さらに、認知症への理解を求める夫婦の講演は全国各地で100回を超えた。
症状は少しずつ進行している。この1年、歯磨きの手順を忘れたり、服を着るのに戸惑ったりするようになった。見たものを正確に把握するのが困難になり、起伏の多い山道などでは手助けが必要になる。講演で体験を筋立てて話すことも難しくなってきた。
「何がなんだかようわからん。不安で仕方ない」。明け方、布団の中で天井を見つめてつぶやくことも。
「あなたから離れることはないから」。由美子さんが肩に手を添えると、安心したように目を閉じる。
「自信を取り戻してほしい」という由美子さんの願いから、2月から、若い時に習った空手に再挑戦し、農作業も始めた。
一方で、認知症への理解を求めてきた夫婦の活動は、確実に実を結んでいる。
啓発イベントで一緒に山に登った大牟田市の荒平覚さん(62)も、会社員だった5年前にアルツハイマー型認知症と診断された。失職の不安の中、テレビ番組で足立さんの活動を知り、「自分にもできるのではないか」と励まされた。
福祉関係者の仲介で3年前に2人は出会い、以来、親友の関係だ。荒平さんは「昭ちゃん(足立さん)に会えなければ、落ち込んだままだった」と話す。認知症当事者の活動に加わり、足立さんのように体験を人前で語る機会も増えた。
今年2月、足立さんの要介護度は3から4へと重くなった。食事や入浴など、由美子さんの手伝いが必要なことは増えたが、夫の感謝の言葉に救われることも多くなった。風呂の介助の途中、しみじみと「結婚してよかった」と言われる。「現役時代に着ていた男としての
5月には大分県で開かれる46キロのウオーキング大会に夫婦で出場する予定だ。その時、夫の好きな言葉を印刷したTシャツを一緒に着る。「いっぽ いっぽ」。そんな気持ちで歩いていきたいと、2人は思っている。(小山孝、写真も)
※足立昭一さんを取材した昨年の記事はこちらから。
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