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[秋山仁さん]アコーディオン 今が青春

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「手先を動かすのでボケ防止になるし、筋力も使うので体が鍛えられる。アコーディオンをやれば10年は長生きできる」(東京都内で)=池谷美帆撮影

 「一番見栄えがいいのがコレ。でも13キロもあって老体にはちと重い」。おなじみのバンダナ姿でにこやかに登場すると、白いイタリア製のアコーディオンをひざに載せ、哀愁漂う旋律を奏で始めた。名曲「パリの空の下」だ。右手で鍵盤を、左手は蛇腹を開閉させながら120もあるボタンを器用に押して演奏する。

 1曲終わって部屋の奥に引っ込むと、今度はやや小ぶりの赤いアコーディオンを抱えて出てきた。「全部で4台ある。中古だけど結構高価なんですよ」

 アコーディオンを始めたのは55歳の時。「音痴の秋山が?」「なぜ今さら」と友人らには笑われたが、実は演奏するのは学生の頃からの夢だった。

 東京理科大に在籍中、大学の屋上で、学生たちがシャンソンや労働歌、反戦歌をよく歌っていた。その輪の中心にアコーディオンを弾く学生がいた。格好いい、モテそう、と憧れた。

 「いつか弾きたい」と思っていたそのアコーディオンと「再会」したのが10年ほど前、北海道を旅行中のことだった。公園から懐かしい音色が聞こえてきたのだ。綿あめ屋のおじいさんが子どもを集めるために弾いていた。後先考えず、弟子入りしたいと申し出て東京から毎月通った。ただ、おじいさんは人に教えた経験がゼロ。失敗を怒られるばかりで上達しなかった。

 2人目の師は、札幌市内の区民センターで教えている人。理路整然と説明し、褒めて伸ばすタイプだ。楽譜も十分には読めないままだが、おだてられながらシャンソンやカンツォーネ、ロシア民謡を暗譜し持ち曲は30ほどに。もの悲しい音色が一番の魅力だが、「腕が上がれば重厚な音楽も奏でられる」と目を輝かす。

 「挫折続きの人生だった」と振り返る。中学、高校、大学、大学院ではいずれも第一志望を逃し、就職活動にも失敗。20代は医科大や予備校の講師をして生計を立てた。

 1991年からNHK教育テレビで数学講座を担当。頭にバンダナを巻いて出演したところ、学者らしからぬ姿が評判となり、人気者となった。今や算数・数学の面白さを説く著書は100冊近くになり、講演で全国を駆け回る。

 そうした場にもアコーディオンを担いで出かける。東日本大震災の被災地で開かれた子ども向けの算数教室や、フランス・パリ大学での講演会では弾き語りも披露した。「1曲弾くだけで場が和む」

 プロのアコーディオン奏者と一緒に舞台に立つことも。「たいてい恥をかくが、その屈辱的な経験がバネになり、成長できる。自ら刺激のある場に出て行かないとダメ」

 実は、右手中指が少し変形している。弾きすぎてけんしょう炎になった。「100日間、ひたすらやれば誰だって少しは上達する。他の楽器も語学も数学も同じ。努力のあとに才能はついてくる」

 新たな挑戦に年齢は関係ない。挑戦している人こそが若者なのだと信じている。「私は66歳の若者、青春まっただ中ですよ」

 少年のようないたずらっぽい笑顔が印象に残った。(板東玲子)

 あきやま・じん 数学者。1946年、東京生まれ。東京理科大卒、上智大大学院修了。東海大教授などを経て、東京理科大理数教育研究センター長。ヨーロッパ科学院会員。数学の国際専門誌の編集委員長も務める。著書に「数学に恋したくなる話」(PHP研究所・共著)など。

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