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ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さん(3)目の前で父が銃殺

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 ――この3月で東日本大震災から2年となりました。被災者の中には、家族を亡くし、仕事も家も失った人がいます。そういう人たちも、今、置かれた場所で咲けるでしょうか。

 「咲かなかったら、枯れるわけですよね。置かれた場所を変えるっていうのも一つの答えです。だけどそれが必ずしも、できる方たちじゃございませんよね。経済的にも、年齢的にも、家族的にも。その場合に、政府が援助しないといけないとか、まわりの人が風化させないようにしないといけないとか、それはそうだと思うんですよ。だけど、本人が咲こうとしなかったら、やっぱりいけないんじゃないんですか」

 「人間の中には、どんなにつらくても咲こうとすれば咲ける力があると思います。自分にできる小さなことを見つけて、自分の花を咲かせる。お花っていうと、あでやかな、きれいな、すてきな、かぐわしいとか、いいますけど、花にもいろいろございますからね。自分の花を咲かせるということは、自分にしかできない。人が寄り添ってくださったら咲きやすくなるとは思います。ですけども、寄り添っても、他人はその人にはなれませんよね」

 「『覚めた目と温かい心』という言葉が私は好きなんですけれども、客観性をもって、『人に頼ってもだめ。自分で道を開かなければ』という気持ちになることも大切なんですね。自分が動かなければ、どうにもならない。自分をもうちょっと買いかぶってやることが大事だと思うんですね。かいかぶるという言葉はあんまりいい言葉ではないですけれども、自分をもっと信頼する、といいましょうか」

 「お手紙をくださった読者の一人が『シスターは、強姦された女性に向かって、置かれた場所で咲けといえますか』と書いてこられました。つまり、心に傷を負っている人に対して、ですね。私、お返事書いたんです。難しいと思いますと。ただ私も、目の前1メートルの所で43発の弾を撃たれた父が死んでゆく姿を見て、今日まで生きておりますと。そして自分なりの花を咲かせる努力をして参りましたと」

 ――お父様は2・26事件(1936年)で亡くなった渡辺錠太郎・陸軍教育総監。その時、シスターは9歳でした。

 「私はPTSD(心的外傷後ストレス障害)みたいなもの、あまりないと思います。軍人の娘として小さい時から厳しい母に育てられておりましたからか、涙一滴流しませんでした。母も涙一滴流しませんでした。つまり軍人の娘、軍人の妻は泣くもんじゃない、というのが、芯の芯まで入っていたと思います。それがあったからでしょう、修道院に入って、こんなはずじゃなかったという気持ちを持ちましたけど、めそめそすることはありませんでした。それは母からもらった財産だと思っています」

渡辺和子(わたなべ・かずこ)
 1927年生まれ。聖心女子大を経て、上智大大学院修了。ノートルダム修道女会に入り、アメリカ留学後、岡山市のノートルダム清心女子大学長に就任、90年まで27年間務める。現在はノートルダム清心学園理事長。著書「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎刊)が100万部を超えるベストセラー。
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