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ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さん(2)私が変わらないといけない

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 ――それはなかなかつらい状況ですね。

 「私も、これはちょっと受け止めきれなくて、こんなはずじゃなかったと、会議で上京した時に、元上司の神父様に言いました。すると、今あなたの話を聞いていると、修道会を出ようかとか、ほかの修道会に入ろうかとか、結婚しようかとか、元の職場に帰ろうかとか、そういうことを言っているけれども、どこへ行っても何をしても、あなたが変わらなければ同じだよ、とおっしゃった。本当にそうだと思いました」

 「私は、まわりの人が優しくしてくれないとか、あいさつしてくれないとか、『くれない族』になっていたんですね。私が変わらないといけないんだな、と気がつきました。すぐに変わったわけではないんですけれども、少しずつ、ああこれが当たり前なんだと思うようになった。だから、非常に咲くことが難しい状況の中で、精いっぱい、人をあてにしないで自分が変わろうとしたのです。私、アメリカで勉強して学位も持ってましたし、多分、自分の心の中におごった気持ちがあったと思うんです。こうしていろんな方にご注意をいただいたり、しかられたりしたおかげで、今の自分があると思います」

 ――鍛えられたのですね。

 「そもそも、私の母がとても厳しい人で、父が亡くなった後、2人分厳しくすると言って、実行した人なんです。その母が、一にも二にも我慢、努力、そして、一番になりなさい、という人だったことも影響しているかもしれません。教育ママではなかったんですけど、父の名前を汚してはいけないっていう気持ちがあったのと、片親で育つだけに頑張らなくてはいけないということだったんでしょう」

 「9歳の時に父が亡くなってから修道院に入る30歳までずっと、そんな母に鍛えられておりまして、努力とか我慢とか不自由とか、世間っていうものは自分の思うままになると思ったら大間違いだとか、よく言い聞かされていました。思うままにならないのが当たり前、思うままになったら感謝しなさいと。幸せになるのもあなた次第、不幸せになるのもあなた次第と」

 ――大学のほうは、その後どうなったのですか。

 「私、変わったんですよ。学生にこっちからあいさつするようになって、先生方にも、この間はありがとうございましたって自分から言うようになって。つまり、それまでは言ってもらうつもりだったんですね、こんなに苦労してるのにと。それが、そうじゃないんだっていうことに気づいて、自分が変わり始めたら学校が明るくなりました」

 「相田みつをさんの言葉に『幸せはいつも自分の心が決める』というのがありますけど、ほんとに人に幸せにしてもらおうと思ってたら、年を取るだけなんですよね。『置かれたところで咲く』というのは、岡山においでになったベルギー人の神父様がくださった英語の詩の一節です。私は、本当にいい方たちに恵まれました」

 「学生たちを見ておりますと、不本意で入ってくる人たちがいるんですね。国公立を落ちたとか、もっと大都会に出たかったのに、女子学生ですから、親が県内なら許すと言ってとか。私は入学式の日に、不本意で入ってくる人たちもきっといると思うけど、それでいいのよと言うんです。卒業する時に、ここへ来てよかったと、もし思ってくれたら私たちの教育はそれで成功したと思う。だから不本意のままでいてくれてもいいけど、暗い顔をしていても何も変わりませんよ、時間の使い方は命の使い方なんですよ、と話すのです。学生たちは、それを自分なりに受け止めてくれています」

渡辺和子(わたなべ・かずこ)
 1927年生まれ。聖心女子大を経て、上智大大学院修了。ノートルダム修道女会に入り、アメリカ留学後、岡山市のノートルダム清心女子大学長に就任、90年まで27年間務める。現在はノートルダム清心学園理事長。著書「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎刊)が100万部を超えるベストセラー。
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