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藤井正彦 神戸低侵襲がん医療センター院長(上)「病」と同時に「患者」を診る

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 がん治療は年々進化している。画像診断技術の進歩で早期発見が可能になり、放射線や抗がん剤を使った化学療法など、外科手術をせずに体への負担を抑えた治療法が増えてきた。

 4月に神戸市のポートアイランドにオープンする「神戸低侵襲がん医療センター」は、がん細胞を「小さく見つけてやさしく治す」を目的とした専門病院だ。院長の放射線科医、藤井正彦さん(55)は、「患者の視点に立った治療を心がけたい」と開院準備を進めている。

開院準備のため、スタッフとミーティングを行う藤井さん(右から3人目、神戸市内で)=枡田直也撮影

 

父らの被爆体験背景

 〈放射線科の医師を志した背景には、祖父と父の被爆体験があった〉

 2人は戦時中、広島市内で工場を経営していました。神戸大の医学生になった頃から、被爆体験を少しずつ語ってくれるようになりました。

 祖父は市内の自宅で被爆して、生死の境をさまよい、顔にはケロイドがありました。工場の地下で作業していた父は、被爆の影響が少なかったと聞きました。

 〈医学部6年目の時、放射線科に進んだ。放射線は平和利用できると思ったからだ〉

 父には「被曝(ひばく)する仕事はしてほしくない」と強く反対されました。被爆2世として生きる選択肢として、広島で放射線の影響を調べるなど、もっと別の関わり方もあったでしょう。

 でも、「放射線は武器にもなるが、安全に管理して医療に使えば、患者への恩恵につながる。命を助ける医師になりたい」と説得しました。

「告知せず」悔い残す

 〈同じ頃、祖父が肺がんを患った。しかし、本人に病名は知らせなかった〉

 雨の日に犬の散歩をした後、熱が出て入院したのですが、すでに末期がんで、手術が出来ない状態でした。

 本人は肺炎だと思ったまま、10日ほどで亡くなりました。あまり苦しまず、安らかに逝きました。亡くなる直前まで好きなたばこを吸っていました。

 約30年前で、当時は告知しないケースが多かったのです。現在では、医師が十分に説明し、患者が同意した上で治療を行うインフォームド・コンセントも一般的になり、告知するケースがほとんどです。

 〈神戸大病院で研修医となった。初めて受け持った患者は70代の女性で、肺がんだった。祖父と同様に病名を知らせなかったが、悔いが残った〉

 肺がん患者は、がんの痛みより、呼吸が出来なくなるのが本当に苦しいんです。女性の場合、放射線治療などの効果がなく、容体は日に日に悪くなっていました。必死で息をしながら「私はがんなんでしょ。あと、どれぐらい生きられるの」と何度も聞かれました。うそをつき通すのはつらかったです。

 祖父のように安らかに死を迎えられた患者は、がんであることを知らされないことが良かったかもしれませんが、それはまれだと気づきました。女性の苦しみを目の当たりにして、患者と正直に向き合いたいと思いました。

医師と患者協働作業

 〈患者を治療するということは、病を診るだけではなく、患者そのものを診ることだと考えるようになった〉

 医師を含め、医療者はどうしても、病気を治すことに力を注いでしまいますが、全ての患者を救えるわけではありません。

 負担が大きい治療で少し長く生きられたとしても、体力が衰え、病院を出たり入ったりする生活で、患者にとってどれほどのメリットがあるのか考えなくてはいけないと思いました。

 患者の意思や人生観を尊重しつつ、医師と患者の協働作業で最適な治療法を考える。病だけに目を向けず、「患者を診る」「患者を治す」という視点が、最も大切だと言い聞かせています。(聞き手 新井清美)


 1957年生まれ、兵庫県淡路市出身。82年神戸大医学部卒。米エモリー大留学や、神戸大病院、高知県立中央病院(現高知医療センター)、三木市立三木市民病院(兵庫県)などで勤務。昨年10月、神戸低侵襲がん医療センター理事長兼院長に就任。神戸大医学研究科客員教授も兼ねる。
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