宋美玄のママライフ実況中継
医療・健康・介護のコラム
震災から2年 関心減るのは「辛い」
3月11日で東日本大震災から2年が経ちました。報道を見る限りでは、元どおりの生活に戻ることが出来ないでいる方がまだまだ多いようで心が痛みました。日本人の価値観を変えるほど大きな災害でしたから、2年という歳月は復興するにはあまりに短いというのが現実なのだと思います。
昨年に比べて今年の「震災の日」に対する世間の関心は少ないように私には感じられました。私は18年前の1月17日、阪神淡路大震災の時に神戸市東灘区で被災地しています。連日テレビ番組は被災地のニュース一色でしたが、3月に地下鉄サリン事件が起こってからはオウム事件の報道に切り替わり、震災関連の放送は激減しました。「こっちはまだ瓦礫の山なんだけどな…」と思っていたのでした。
2011年の東日本大震災では、震災と津波だけでなく原発事故も起こったため、被災地以外でも皆自分や家族の健康を気にかけねばならなくなってしまい、結果的に被災地の方が「災害を他人事だと思われているのではないか」と感じることが増えたのではないでしょうか。経験者として述べますと、それはとても辛いことです。もう一度関心を持ち直すべきだと思います。
母に賢断が求められる
職場では、東日本大震災の頃に出産された方で、また妊娠して診察にこられる方もしばしばみられるようになりました。都内の水道水から放射性物質が検出され何も信じられなくなった当時の混乱を振り返り、子どもをどう育てて良いか不安だったと口々に語られます。今でも当時どうするのが正解だったのか分からない部分もありますが、2年前に比べれば落ち着きを取り戻していると言っていいでしょう。
当時、私はまだ妊娠前で、子を持つ母ではありませんでした。多くの母親たちが自分の子どもを思って行動していましたが、その行動は非常に多様で、中にはいがみ合いもあったと記憶しています。しかし、子どものいない人が物を言いにくい空気を当時の私は感じていました。誤解を恐れずに言うと、小さな子どもがいるということが、あらゆる行動の免罪符のように言われていたと思います。例えば、限りあるペットボトルの水を買い占めたり、食材を気にして選別するあまり子どもに十分な栄養を摂らせなかったり、非常に低い放射線量を気にして子どもが屋外で遊ぶ機会を長期間失わせたりなどです。
今では私も子を持つ母親になりました。今感じることは、子どもの立場からすると親に与えられた環境を享受するしかないので、親というものは熱意だけではなく賢断が求められるということです。子供がいるということは免罪符ではなく、子供に対して責任を持つということに他ならないと感じます。子育ては初体験の連続なので、取り返しがつかない間違いをしないようにしなければと肝に銘じています。
私は産科医として妊婦さんとご家族に接しています。平常時でも、自己管理の仕方、分娩施設の決め方、出生前診断などなど、赤ちゃんの運命を左右するものについて親たちが選択するものは妊娠中からすでにたくさんあります。これから親になられる(かもしれない)方には、自分好みの情報ではなく、偏らない情報を集めてください。
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震災当時はいろいろな情報がいきかって、それこそ大変でしたね。水の確保、食料やそのほか、日用品の確保。でも流通の停滞がもたらしていたことが多かった...
震災当時はいろいろな情報がいきかって、それこそ大変でしたね。
水の確保、食料やそのほか、日用品の確保。
でも流通の停滞がもたらしていたことが多かったと思います。
いまは、販売店が多くの在庫をもつより、運搬回数を増やしての物流が主流だと思うから。
在庫としては、かなりあったのではないでしょうか。
ちょうど海外にいたので日本の情報は通信社のが主で、情報が錯綜する程ではなかったです。
おかげで日本に連絡をするときは、普段通りの感覚で連絡をとれました。
この品物が枯渇しているといっても、実は数日で確保できそうとか。
今、別ルートで支援物資的にどこの国から物資が移動中であるとか。
日本企業で海外で生産している会社が海外向けを一時的に日本へという事もあったそうです。
物資等が枯渇すると心配でしょうけど、小売店側も考えていたみたいです。
なにより、略奪、夜の外出禁止令がでないと海外では高評価でした。
海外なら、そんな安全に過ごせるレベルではないと思っていたらしいです。
安全である、物資は輸送が間に合わないという事が主。
日本国内にいると不安だったでしょうけど、家などには、今こうなってるとFAX等で連絡しておきました。
災害時は備蓄しているものがあると便利ですね。
これは昔から言われているので、それをどう工夫するかを普段から考えておくのもいいみたいです。
震災を忘れるなではなくて、こういう時はどうするかという事と備蓄の工夫を忘れないほうが、なんか有利かなと思った今回の東日本大震災での記憶でした。
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