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[佐野浅夫さん]黄門様で元気を 施設行脚

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黄門姿の佐野浅夫さんの登場に喜ぶ高齢者たち(東京都内で、画像は一部加工しています)=藤原健撮影

 ♪人生楽ありゃ苦もあるさ

 東京・目黒のデイサービス施設内に突如、おなじみの主題歌が流れ、山吹色の頭巾をかぶった「黄門様」が現れた。

 「あ! 本物だ」「わたし、いつも見てました」「おなじみでしたよ~」

 テレビ時代劇「水戸黄門」の3代目の登場に、レクリエーションルームに集まっていた約20人の高齢者から、歓声があがった。

 こうした施設訪問は、年配の人たちに喜んでもらおうと、昨年末から再開したボランティア活動だ。

 この日も会場の一人一人と丁寧に握手を交わした後、「みなさん、元気にいきましょう」と声を張った。

 東野英治郎さん、西村晃さんに続き、黄門役を演じたのは1993~2000年。キャッチフレーズは「泣き虫黄門」で、それまでのホームドラマ出演で培われた庶民派のイメージも大切にしていた。

 当時も撮影の合間を縫って高齢者施設などを訪れていたが、役を降りるとそうした機会は減っていった。

 08年には、脳梗塞を発症。迅速な治療で大きな後遺症は避けられたが、以後は視力が悪くなり、活動を控えるようになった。「主人には、『弱った姿を見せたくない』という思いもあったんだと思います」と妻の以句子さんは打ち明ける。

 だが、昨年末、ボランティア活動を再開した。知人の祖母に、自ら描いた「切り株に座った水戸黄門」のイラスト入りの色紙をプレゼントしたところ、その知人から「祖母が会いたがっているんです」と言われたのがきっかけだ。

 「行くだけで喜ばれるなら」と、12月に女性が暮らす神奈川県内の高齢者施設を訪ねると、入所者たちに大歓迎された。「こんなにみなさんが喜んでくれるなら、活動を再開してみようか」と思うようになった。

 知り合いを通じ、施設関係者に声をかけると、「ぜひ来てほしい」との反応があり、これまでに計3か所、訪問した。舞台のために借りたドラマ当時の衣装を着て、ひげや眉毛などのメークは以句子さんが担当した。

 横浜で育った少年時代から映画や芝居小屋に通い、演劇の道に進んだ。講演や朗読も好きだった。

 「父が商売人で話術がうまかったんですが、小さな頃から、それを見ていた影響かもしれませんね」

 以句子さんも、「以前は、相手が大人でも子供でも2時間はよどみなく講演できる人でした。今は体力的に長時間は持ちませんけれど」と話す。体調と相談しながら、最近の活動は30分間が目安だ。

 しかし、観衆を前にすると役者魂に火がつき、サービス精神を発揮する。この日も質問コーナーで、「日本中を回られてどこが一番良かったですか」と尋ねられると、「それは目黒のここですよ」とユーモアに富んだ答えで会場を沸かせた。

 今年、米寿を迎える。「この年になると『社会に恩返ししなくては』と思うんです。それに、みなさんに喜んでもらえることは、私自身の励みにもなるんです。お声がかかる限り続けたい」

 黄門様のボランティア行脚は今後も続きそうだ。(高橋圭史)

 さの・あさお 俳優。1925年、横浜市出身。日大在学中に劇団「苦楽座」に入団。テレビドラマでは、「水戸黄門」のほか、「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「大岡越前」などに出演。童話の朗読のほか、童話作家としても活躍。

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