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高橋裕子 奈良女子大教授(上)禁煙外来を国内初開設
奈良女子大教授(健康医学)で、医師の高橋裕子さん(58)は1994年、国内で初めて奈良県内の病院に禁煙外来を開設した。〈禁煙治療医〉の草分けだ。現在も、国立京都医療センターと京都大病院で、禁煙外来を受け持ち、受動喫煙の防止や未成年の喫煙問題にも取り組んでいる。
禁煙治療中の女性患者に「吸いたくなったら、パッチを貼ってください」などと話す高橋さん(右)=京都市伏見区の国立京都医療センターで、川崎公太撮影 |
出発は内科医
<元は消化器内科医だった。内視鏡で胃がんを切り取り、医師として自分の生きる場所は内視鏡室だと思っていた。しかし、関節リウマチを患った。回復したものの、重い内視鏡器具を扱うことが難しくなり、糖尿病を治療する科へと移った。そこで喫煙の害を深く知ることになった>
心筋梗塞や脳卒中、肺炎など、糖尿病がもたらす合併症は、たばこによる病気と重なります。
喫煙者の糖尿病患者には禁煙を指導するのですが、「禁煙しましょう」と言いっ放しになることがほとんどで、具体策を示すことができませんでした。ところがある時、「吸いたくなったら氷水を飲む」という、心理学でいう「認知行動療法」を自分で考え、禁煙に成功した患者さんに出会いました。次の患者さんに同じ方法を勧めたら、その方も成功しました。
当時は、今ほど喫煙の害は指摘されていませんでしたが、禁煙に成功すると、患者や家族からとても感謝されました。禁煙治療の専門医もいない中、「これを自分のテーマにしよう」と決め、94年5月に奈良県の大和高田市立病院で禁煙外来を始めました。
パッチや内服薬が登場
<禁煙治療を始めた当初は、医学的に効果のある方法はあまりなかった>
氷水作戦のほか、吸いたくなったら体を動かすといった「認知行動療法」に頼っていました。禁煙補助薬のニコチン入りガムもありましたが、効果は長続きせず、禁煙を2か月続けられる人は3割程度でした。
<治療環境が、一変したのは、99年だった。皮膚からニコチンを取り入れる貼り薬、ニコチンパッチが登場、その後も内服薬などの禁煙補助薬が次々と発売され、禁煙治療は進化していった>
パッチを使うと、2か月間の禁煙率が7~8割にはね上がりました。2008年には、ニコチン補充療法とは根本的に異なる内服薬「バレニクリン」も発売されました。
ニコチン依存の人は、脳細胞で、ニコチンが結合する場所(分子)に異常が生じていますが、この薬は、両者が結合するのを妨げます。喫煙者は、たばこの「うまさ」を感じなくなり、吸いたくなくなるのです。いきなりニコチンを断つことができるため、禁煙治療に質的な変化をもたらしたと言えるでしょう。
現在、全国には約2万か所の禁煙外来があり、ニコチンパッチやバレニクリンの処方は保険が効きます。
「1本だけおばけ」
<週3回受け持つ、国立京都医療センターの禁煙外来を30代の女性が訪れた。ニコチンパッチの治療を受け、「最近はたばこを吸っていません」と笑顔で話す女性に「すごい。自分に拍手してあげてください」と褒めた>
患者の頑張る姿に自分もうれしくなり、禁煙を続ける上で必要な情報提供ができるよう心がけています。ただ、禁煙補助薬の進化で、「こんなに楽にやめられるなら、もう一度吸ってからやめよう」という患者も少なくありません。その結果、せっかく禁煙したのに1年後の再喫煙率は6~7割にも達してしまいます。
1本でも吸ってしまうと、喫煙で気持ちが良くなる脳の回路が復活し、元のもくあみになってしまいます。私はこれを「1本だけおばけ」と名付けて、患者に注意を呼びかけています。
<禁煙を続けるにはどうすればいいか>
喫煙はニコチン依存症ですから、「吸ったらリラックスした」といった、「吸ってよかった記憶」を、「体調が良くなった」「吸う場所を探さなくて済む」などの「吸わないでよかった記憶」で塗り替えていくことが秘訣です。
例えば家族や周囲が禁煙を喜んでくれることは、本人が禁煙を続ける、とても強い動機になるのです。(聞き手 原田信彦)
1978年、京都大学医学部卒。京都大病院、天理よろづ相談所病院、大和高田市立病院、京都大医学部非常勤講師(兼任)などを経て、2002年、奈良女子大教授。日本禁煙科学会理事長などを務める。 |
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