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[瀬戸薫さん]仕事も私生活も「走る」
仕事のスケジュールでびっしりの手帳に、小さな数字が毎日のように書き込まれている。平日は「3」や「6」。これが土日だと「21」や「27」に増える。「走った距離を記録しているんです。毎月の合計は200キロ近く。年間で2000キロ前後でしょうか」
平然と言ってのけるが、経済界では有名なランニング好き。東京マラソン、新宿シティハーフマラソンなどの大会に「クロネコヤマト」のロゴ入りのウエアを着て出場している。フルマラソンのベストタイムは3時間30分台で、60歳を超えてからも4時間を切る。
「今度は瀬戸さんの記録に挑戦だと言ってくる経営者もいます」
正月には、箱根駅伝のスタートを東京・大手町の読売新聞東京本社(建て替え中)前で見守るのが恒例だ。今年も皇居の周りを走ってから、母校、中央大の応援に駆けつけた。
家庭向け小口配送「宅急便」の開発チームに入社6年目で抜てきされ、暮らしを便利にする巨大物流網を築く一翼を担った。作業中に腰をかがめる必要のない天井の高い配送車を導入するなど、アイデアマンとして知られる。
ランニングを本格的に始めたのは30代後半。山口県の支店長時代に2キロ走る大会があり、「楽勝だろうと思って出たらほとんどビリ。不摂生な生活を反省しました」。早起きしてランニングをするついでに、営業所の様子ものぞくようになった。「前触れなしの現場だから、欠点が見えやすくなりました」と笑う。
東京に戻ってからは、社内でランニング仲間が増え、山中湖ロードレースなどの大会に同僚たちと出るようになった。仕事では冷蔵・冷凍の荷物を宅配する「クール宅急便」の開発を任され、成功に導く。「走っているときは何も考えない。それが仕事のストレス解消にもなるし、新たなアイデアが湧く源泉にもなりました」と振り返る。
今ではグループ46社、約18万人の社員を率いるトップ。大好きなランニングは平日は夜、休日は朝に自宅近くの公園などで走ることが多いが、「実は海外に出張した時が比較的余裕があり、たっぷり走れます」と明かす。2年前、欧州出張中に、パリマラソンに出場する機会を得た。東日本大震災から約1か月後、「日本は元気だ」とアピールするためウエアに日の丸を付けて走った。現地の人たちから「ジャポン、ジャポン」の声援を受けた。
最近は、高齢者の買い物支援や見守りなどを兼ねたサービスにも力を入れる。「配達員は地域で名前を覚えてもらっています。不在でも何時ぐらいに帰ってくるはずだからと、また配達に行くようなサービスを心がけているからです」
高齢社会を見据え、自身のランニングも、「80歳代でもフルマラソンに出られる状態を保ち続けていければ」と話す。自分と同じ団塊の世代は、仕事の一線から離れる人が増え始めた。将来、手帳に、仕事の予定を書く必要がなくなったとしても、ランニングの記録だけは残し続けたいと考えている。(鳥越恭)
せと・かおる ヤマトホールディングス会長。1947年、神奈川県生まれ。中央大法学部卒。70年、大和運輸(現ヤマト運輸)入社。宅急便課長、関西支社長、取締役人事部長などを経て、2006年、グループ持ち株会社の社長に就任。11年から会長。
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