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山口デスクの「ヨミドク映画館」

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「祈り」の映画~遺体 明日への十日間

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 2011年3月11日。

 日本人でこの日を覚えていない人はいないでしょう。

 未曽有の大被害をもたらした東日本大震災では、死者は1万5880人、行方不明者は2698人にのぼっています(2013年1月17日現在、警察庁まとめ)。

 しかし残念ながら、被災地以外の人たちの間では、その記憶が早くも風化しつつあるのではないでしょうか。

 だからこそ、今、この映画を一人でも多くの日本人に観ていただきたいと思います。

 「遺体 明日への十日間」(2月23日から全国公開)。

ぼくとつで温かい相葉(右手前)。福島県生まれの西田敏行さんが素晴らしい演技を見せます。©2013フジテレビジョン

 原作はジャーナリストの石井光太さんが取材したルポルタージュ「遺体 震災、津波の果てに」(新潮社)で、「誰も守ってくれない」(08年)でモントリオール世界映画祭最優秀脚本賞を受賞した君塚良一監督が映画化しました。

 とにかく、監督や俳優さんら、この映画にかかわった人たちの真摯(しんし)な姿勢が伝わってくる映画です。私は、前回紹介した「レ・ミゼラブル」の何倍もの涙を流しましたが、それでも絶対に目をそらしてはいけない、と思わせられる映画です。

 舞台は、地震後の津波に襲われた岩手県釜石市。一夜明け、市では廃校となった旧・釜石第二中学校の体育館が遺体安置所として使われることになります。いつもはストーリーを紹介するのですが、遺体安置所での事実をほぼ忠実に再現した映画なので省略し、印象に残ったことを中心に紹介します。

 映画の「主人公」と言えるのは、民生委員の相葉常夫(西田敏行)。3年前まで葬儀社で働いていた経験を生かし、市長に申し出て安置所のボランティアを始めます。

 この人が、ほんとに素晴らしい。

 運び込まれた遺体を、生きている人と同じように扱い、同じように言葉をかけるのです。

 まず、体育館の床の上に、雑然と横たえられていた遺体を見て、「ちゃんと並べてあげませんか」と消防団員や市職員らに声をかける。

 泥だらけの床はモップでふき、真っ黒になった毛布は新しいものと取り換える。

 母親の遺体を捜しに来た息子が、3体目の確認で母を見つけると、相葉はこう言います。

 「おかあさん、良かったね~。息子さん、見つけてくれましたよ~。…あ、おかあさんの表情が優しくなった気がしますよ」

 妊婦の遺体には「天国で、めんこい赤ちゃん産んでくださいね~」と優しく声をかけ、小さい子のひつぎには、蓋をなでながら「お父さんとお母さん、まだ迎えに来ないけどね~、もう少しの我慢だからね~」と泣きそうな声で語りかけるのです。

 相葉は、泥だらけの体育館に入るとき、わざわざ入り口で靴を脱ぎ、はだしになります。資料によると、これは演じる西田敏行さんのアイデア。西田さんは監督にこう言ったそうです。

 「遺体安置所は畳の上にある感覚だし、どんなに泥だらけだったとしても畳の上を僕は土足では歩けない。はだしでずっといたい」

 亡くなった人に対し、生きている人と同じように接する。これこそが遺族の悲しみを和らげることを、相葉と同じように、西田さんご自身もとてもよく理解されているのでしょうね。

 暖房もなく冷え切った安置所では、医師の下泉道夫(佐藤浩市)や歯科医師の正木明(柳葉敏郎)、歯科助手の大下孝江(酒井若菜)が、次々と運び込まれてくる遺体の検案や検歯作業に、休む間も惜しんで取り組みます。

 自分が診ていた患者さんや知り合いたちも運ばれてくる中、悲しみを押し殺して黙々と仕事を続けるのです。

 実際、多くの医師や歯科医師たちが、自らも被災しながらこうした作業を続けました。その尊い行為を、3人は見事に演じきっています。

 ほかにも、遺体の運搬作業についた釜石市職員の松田信次(沢村一樹)が、あまりに悲惨な状況に言葉と表情を失っていく様子や、遺体安置所で最初は呆然と立ちつくすだけだった釜石市職員の平賀大輔(筒井道隆)と照井優子(志田未来)、及川裕太(勝地涼)が、相葉の行動を見て次第に変わっていく様子も描かれます。

 はっきり言って、観ていてつらい映画です。私たち日本人は、被災者はもちろん、被災者じゃなくても、あの震災のむごたらしさを知人や報道を通して(断片的にでも)知っています。その事実の重みが、映画からずっしりとのしかかってくるのです。

 子どもの遺体のそばに寄り添い続ける母親の小さな肩。黒ずんできた母親の顔に化粧をする娘の笑顔の悲しさ。それらはあちこちで見られたであろう現実の姿であるだけに、見ていると胸が張り裂けそうになります。

 しかし、そんな家族に、そしてご遺体に、家族でもないのにしっかりと寄り添う人たちがいた。自ら苦しみながらも、自分の仕事をまっとうした人たちがいた。その事実に、私たちは人間としての希望を見いだすのです。

 私の記憶では、この映画には音楽がほとんどありません。叙情的な音楽で場面を盛り上げる、というテクニックを使っていないのです。

 でも最後に、女性の声(vocalというよりvoice)の美しい曲が流れ、エンドロールにつながります。「ああ、この曲は、数多くの失われた命と残された人たちにささげる『祈り』だ」。私はそう思いました。いや、曲だけじゃなく、この映画そのものが「祈り」と言ってもいいでしょう。

 エンドロールで知った曲名は、「Pray for the World」(歌・SHANTI)。祈りは祈りでも、世界へ向けた祈り。たしかに、大切なひとを失う悲しみは世界共通です。この映画はぜひ、海外でも上映し、世界中の人たちに観てほしいと思いました。

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山口デスクの「ヨミドク映画館」_顔87

山口博弥(やまぐち ひろや)

読売新聞医療部デスク

1987年 早稲田大学法学部卒、読売新聞入社

地方部、社会部などを経て1997年から医療情報室(現・医療部)。

趣味は武道。好きな映画は泣けるヒューマンドラマとアクションもの。

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8件 のコメント

遺体・・・観てきました

さとっち

胸にずっしりと響く作品です。涙が自然と流れ落ちていきました。日本中の人に観ていただきたい。西田敏行さんは本当に素晴らしい俳優さんですね。自分も重...

胸にずっしりと響く作品です。
涙が自然と流れ落ちていきました。日本中の人に観ていただきたい。
西田敏行さんは本当に素晴らしい俳優さんですね。自分も重くつらい体験をしたような気持ちになるのに、不思議と暖かいものが心に残ります。

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山口博弥(読売新聞)

お花畑さま 「白い巨塔」。私も毎週観ていました。見応えがありましたね。 アウシュビッツの場面は、私もストレートには理解できませんでした。 大量の...

お花畑さま

 「白い巨塔」。私も毎週観ていました。見応えがありましたね。

 アウシュビッツの場面は、私もストレートには理解できませんでした。

 大量のユダヤ人が虐殺され、そこには人体実験を行った医師もかかわっていた・・・。

 その現場に立った時、人の生死を握る医師はどんな思いを抱くのか。。。

 あまりにもいろいろなとらえ方ができそうで、簡単に答えを出せなかったのです。

久遠さま

 おっしゃるように、あの映画は、つらすぎて観ることができない方も多いでしょう。

 被災された方もそうでしょうし、震災に限らず、病気や事故などで大切なだれかを亡くされた方も、観るのには苦しさが伴うと思います。

 ただ、今は観ることができなくても、いつか、DVDででも観ることができる日が訪れるかもしれません。その時はきっと、西田敏行演じる相葉の言葉や態度に、心が癒やされるような気がします。

喜怒哀楽さま

 人の死が、生きている私たちに語りかけるものがある--。

 先日紹介したドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日」でもありましたが、死から目をそらさないことで、亡くなった方からこちらに伝わってくるものが必ずあると思います。

 そうした経験の積み重ねが、もしかしたら人を強くしていくのかもしれませんね。

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山口博弥(読売新聞)

医療情報部大ファンさま 医療ルネサンスを読み続けていらっしゃるとのこと、ありがとうございます。 また、「わが子を亡くした時」なども読んでくださり...

医療情報部大ファンさま

 医療ルネサンスを読み続けていらっしゃるとのこと、ありがとうございます。
 また、「わが子を亡くした時」なども読んでくださり、うれしいです。

 これからも、役に立つ医療情報を提供するとともに、かつ、人の心に寄り添う記事を発信することを心がけたいと思っています。

寺田次郎さま

 たしかに、時として、言葉よりも沈黙が大きな意味を持つことがあります。
 ただそばに存在することも。

 「沈黙と祈りは世界の共通語」。いいフレーズですね。

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