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[金子マリさん]音楽と仲間と下北沢

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「ロックと葬儀店の経営。大変だったけど、どちらも続けてきてよかった」。人の死と向き合う仕事が、歌手の自分も成長させてくれた(都内の葬儀店倉庫で)=米山要撮影

 その人は、長い髪を風になびかせ、街角に現れた。ライブハウスや小劇場が多い東京の下北沢は、昔も今も若者でごった返す。ここで生まれ育ったロックシンガーは、雑踏を見渡し、「とうとう逃げられなかったね。この街から」と笑ってみせた。

 1973年、話すのが苦手で歌が好きな18歳の少女は、ギタリストのChar(チャー)とバンドを組んだ。激しさの中に憂いを含んだボーカルは、米国の伝説の歌手ジャニス・ジョプリンを彷彿(ほうふつ)とさせ、「下北沢のジャニス」と呼ばれた。

 ロック歌手の内田裕也に認められ、大きなステージに参加。「金子マリ&バックスバニー」を結成し、レコードデビューも果たした。桑名正博、上田正樹、RCサクセションなど、同世代のミュージシャンがロックの新風を巻き起こすなかで、独特の存在感を放ってきた。

 だが当時、ロックを知る人はまだ少なかった。世界を夢見てライブに打ち込んでも、「あの子は何をやってるんだ」と地元の人には理解されなかった。自分の代名詞にもなった街なのに、下北沢から逃げたかった。

 「ここから連れ出してやる」と言ってくれたドラマーのジョニー吉長さんと、25歳で結婚。しかし、長男が生まれると、下北沢の実家で育児中心の生活が始まった。ライブの回数は減ったが、毎日数時間の練習は忘れなかった。

 変化が起きたのは39歳の時だった。実家は下北沢に祖父の代から続く葬儀店。それを継いだ父が93年に亡くなった。5人の従業員と店の経営を担うのは、一人っ子の自分しかなかった。

 社長として葬儀に立ち会った後、歌のリハーサル。再び仕事服に着替え、お通夜。そしてライブの本番へ。「歌手」に専念できないことに、焦りが募った。商店街や同業者のつきあいで、カラオケを歌うのがつらかった。

 99年には離婚。「自分だけどうして」。思い描いた人生から、遠くなっていく自分がいた。

 だけど――。この20年間を振り返り、話す。「遺族の思いを読み取る葬祭業は、聴衆と無言で対話するライブと、どこか似ている。店を継いだからこそ、音楽も続けてこられた」

 2012年は、忘れられない年になった。病に倒れた元夫を、成長した2人の息子と看取(みと)ったのだ。「2か月半、看病できた。離婚してから父子を隔ててきたわだかまりを解き、ジョニーはいい顔をして逝きました」。葬儀を仕切り、自分も過去に区切りをつけられた。

 気づくと、音楽への向き合い方が変わっていた。葛藤の日々を経て、年月を重ねた今、古くからのバンド仲間には、リハビリから復帰したギタリストや重い病気のメンバーもいる。「そうなって初めて、仲間と演奏する幸せを知り、私たちは本物のバンドになった、と思える。60歳になる頃には、もっともっと音楽を楽しめるんじゃないかな」

 昨年は、長男のノブアキさんが俳優として頭角を現した。街で「息子さん頑張ってるね」と声をかけられる。そして、新しい夢も動き出した。子育てに悩み、孤立する母親に地元で出会う。子どもを一時預かり、若い親の手助けができる場を同年代の仲間と作りたい。そう、この下北沢の街で。

 「今が一番いい感じ」。58年間、この街と生きてきてよかった。(梅崎正直)

 かねこ・まり 歌手。1954年、東京生まれ。73年、バンド「スモーキー・メディスン」に参加。83年にソロアルバム「MARI FIRST」、2006年には忌野清志郎や矢野顕子ら多数のゲストが参加したアルバム「B‐ethics」を発表。現在、バンド「5th Element Will」などで活動。次男のKenKenさんはベーシスト。

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