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映画監督・岩淵弘樹さんインタビュー(2)日常が破壊されたからこそ

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映画について語る岩淵弘樹監督

 ――クリスマスに注目したきっかけは何だったのですか?

 「カメラマンでプロデューサーの山内大堂さんは、音楽のプロモーション・ビデオ(宣伝用ビデオ)を作る仕事でカメラマンをお願いした関係で知り合いなのですが、今度は映画をやりましょうと言ってくれていたんです。二人の空いている時期を見たら、クリスマス。考えてみると、クリスマスというより、仙台の街路樹をイルミネーションで飾る年末の恒例行事『光のページェント』の電球が、津波ですべて流されたのに今年もやるというニュースが気になっていた。あれだけ大変なことのあった被災地で、変わらないことってあるのかなという思いで、じゃあ、クリスマスをお祝いする様子を描きたいと思いました。もちろん、3月に撮影した映像も見せないと、震災を経た12月の仙台は描けないとは思っていました」

 ――それまで光のページェントにはどのようなイメージを抱いていたのですか?

 「物心ついたころから見ていたので、特に際だって何かを思うものではなく、当たり前にそこにあるものでしたね。わざわざ見に行くこともなかったです。みんなお祭り好きなのかもしれないですけど、期間中は絶対渋滞になるし、カップルは見に行くのが名物になっていました。僕は彼女と見に行ったことはないですが。僕自身はページェントに深い思い入れもなく、ただ年の瀬だな、年末だなと思うぐらいで、年末の雰囲気を盛り上げる光景でしかなかったです」

 ――クリスマスのイメージはどうでしたか?22歳までサンタクロースが枕元にプレゼントを置いていてくれたそうですが。

 「22歳までサンタを信じていたわけではないですけれど(笑)、朝起きた時に枕元にプレゼントが置かれていてうれしいというのは単純に思っていましたね。僕の母方の祖母が体の弱い人だったので、僕の母は満足な家族生活を送れていなかった人なんです。母に聞くと、人生で一番幸せだった時は、僕と弟が生まれた時だそうです。父も早くに母親を亡くしたのですが、両親は、自分たちの家族はちゃんと育てたい、ちゃんとしたいというのがあったようです。普通、小学校高学年にもなると週末家族で外食したりなんてしないですが、うちは強制的にそんな家族の行事をやらされていました。友達とみんなで外で遊んでいる時も、親が呼びに来るんですね。恥ずかしいし、かっこわるいと思っていたのですが、この年になると、それはいい思い出だったんだなという気がしますね」

 ――挿入歌も映画の重要な要素の一つですが、麓健一さんの「メリークリスマス」という歌は、「大人たちの喜ぶ顔がただ嬉しかった」という歌詞が印象的です。親のそういう思いをご自身も感じられてきたんですね。

 「当時は考えていなかったのですが、大人になってみると、親が何を子どもにしてあげたかったのかというのは理解できるようになったのかなあ」

 ――22歳までは起きる前にお母様がプレゼントを置いていたのですね。サンタが来たという演技はしていたのですか?

 「そんな演技はしないですよ。ありがとうとも言わないし、そのことにも触れない。22歳の時は、母がバイト先に車で送ってくれた時、『朝、プレゼント置いてあったけど』と言ったら、母は『知らない』って言ってましたね(笑)。本当にあれは母親じゃないのかもしれないですし、父親かもしれないですし、本物のサンタクロースかもしれない。だから映画の最後で、『なんで22歳まで枕元にプレゼント置いていたの?』って聞いたら、本当は『知らない』って答えてもらいたかったんですけどね」

©ballooner

 ――映画では光のページェントだけでなく、教会のミサ、クリスマスコンサート、友人が親戚を集めて開いたクリスマスパーティー、サンタを待つ子どもやそれを見守る両親らを映しています。でも、いつものクリスマスとは少し違っていたようですね。

 「『震災の影響でクリスマスを祝えない人もいるからうちはお祝いはやめますが、サンタのプレゼントだけはやります』という人もいたし、『今、この毎日の生活を守ってくれるため寒い中仕事をしている人がいるから、感謝しましょう』というお母さんもいました。ページェントの明かりの下にも震災の写真が飾ってあった。僕の友人が普通にケーキを買って、クリスマスを祝っている姿だけ見たら表面上は前の年と同じかもしれません。でも、震災のことを皆引きずっていて、震災は終わっていないと感じていて、それでもクリスマスだけは、いつも通りに過ごしたいという強い思いを感じました」

 ――クリスマスは何家族ぐらい撮ったのですか。

 「5家族ですね。クリスマスイブの夜に家族でお祝いをする様子と、翌朝、子どもがプレゼントを開ける様子と二つ撮ってきてくださいとお願いして、カメラを渡したんです。その映像が想像以上に良かった。子どもが親しか見せない言葉を超えた家族のやり取り。子どもの喜ぶ顔を見る親の喜び。僕もその喜びを思い出しました」

 ――震災直後、変わってしまったものもあるけど、変わらないそんな家族の姿もあるということを見せてくれました。何を伝えたかったのでしょう。

 「変わってしまったこともあるけれど、変わらないものもある。いまだに仮設住宅もあるし、子供達は放射能のことやこの先も色んな問題を引きずっていくことになってしまったと思うのですが、そういう子供たちにもクリスマスにはサンタさんが来て、プレゼントを置いていく。僕もそうした経験をしてすごく嬉しかったので、僕より下の世代にもそんなことが伝えていけたらいいし、そんな生活を守ろうとしている人がいるんだ伝えたかった」

 「光のページェントの実行委員長は、『仮設住宅で5月ぐらいにお年寄りの自殺が増えたことに対して、いつも通りに街の時間が流れているのを実感してもらうことが、一歩先に踏み出すきっかけになると考えた』と話していました。『原発問題が終わるまで2011年は終わらない』という発言も聞いたことがありますが、日常が破壊されたからこそ、いつも通り時間を流そうとする街の人たちのあり方の方が僕は好きだなと思ったんですね」(続く)

岩淵弘樹(いわぶち・ひろき)
 1983年仙台市生まれ。埼玉県の工場で派遣社員として働いた自身の生活を記録した1作目のドキュメンタリー映画「遭難フリーター」は複数の国際映画祭で招待作品になった。現在は東京都内の老人ホームで正社員の介護職員として働く。本作「サンタクロースをつかまえて」は12月28日まで東京・渋谷の「ユーロスペース」で、12月22日~28日まで仙台市の仙台フォーラムで公開される。

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