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漫画家・一本木蛮さんインタビュー(1)治療で深まった夫婦の絆

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 いまや、子どもの40人に1人が体外受精で誕生する時代だ。ただ、不妊治療に取り組んでも、子どもを授からなかった夫婦もいる。自らの体験を作品にしてきた漫画家の一本木蛮さん(47)も、昨年夏、10年以上にわたる治療をやめた。子どもという望みが叶わなかった夫婦が治療で得たもの、そして、治療をやめて1年たった、今の思いについて聞いた。(中島久美子)

一本木蛮(いっぽんぎ・ばん)
 1965年、横浜市に生まれる。高校時代から同人誌に投稿し、82年にプロデビュー。元祖コスプレアイドルとしても知られる。主な作品として「一本木蛮のキャンパス日記」「同人少女JB」「じてんしゃ日記」。治療体験をまとめた「戦え奥さん!!不妊症ブギ」(小学館クリエイティブ)がある。

今あるのは年齢相応の不安

 ――治療をやめようと決めたのはなぜですか。

 「治療を始めたのは、結婚して4年たった35歳のときでした。その後、お金がなくて、中断した時期も含めて、11年目にやめました。5年目とか10年目とかきりの良いタイミングを選ぶ人もいるでしょうけど、私には、『10年頑張って、もうちょっと粘ってみた』というこのタイミングがしっくり来ました。年齢を重ねることで、妊娠の可能性が低くなっていくことも実感していました。ホルモン値から、卵巣の働きが悪くなっていくことがわかったし、事実、良い卵もとれにくくなってきたのです」

 ――夫の博章さんはどう考えていたのでしょうか。

 「夫は、一つ年下です。40歳になって体外受精を始めた時には、もう夫婦2人の生活を考えていたようです。そもそも、体外受精にステップアップすることには消極的でした。最終的には、やるだけやらないと納得できない、という私の意見を尊重してくれました。結局、体外受精や顕微授精を10回以上繰り返しました。だんだん年齢を意識してきたようです。夫の父、祖父ともに、がんで早くに亡くなりました。なので、自分もそう長く生きられないかもしれない、元気でいられないかもしれないと思ったようです。『いまから子どもが生まれて、育てたとしても、その子どもが成人になった時、すぐに俺たちの介護がやってくるかもしれない。子どもの人生を介護でつぶしたくない』と冷静に話してくれました」

 ――やめることに迷いはなかったのでしょうか。

 「実は、治療を始めた時に、子どもを授かるには、心安らぐ落ち着いた環境が必要、と考えて、仕事量を減らしました。自分から作品を持ち込むのはやめて、入ってくる仕事だけ引き受けるようにしました。排卵の時期も直前でないとわからないので、急な予定変更に対応しなければいけません。迷惑をかけないよう、なるべくアシスタントを使わない一人でできる仕事に絞りました。でも、じきに気付きました。仕事をしないことが、ストレスになる、ということに。何もしていないと、余計なことを考えてしまうんですね。ものの受け止め方もマイナスになってしまいます。仕事を持っている人なら、やめずに治療するのがベストだと思います。仕事があったから、いらぬ心配事をする時間がなかったし、『もう治療は難しいかもしれない』と思い始めたら、徐々に仕事量を増やすことで、夫婦2人の生活を自然に受け入れることができました」

 「仕事でなくて、趣味でもいいので、生活が治療一色にならず、グラデーションになることをおすすめします。治療だけになるとつらいし、やめるときに躊躇してしまうのではないでしょうか。私にとって治療はあくまで生活の一部でした。たとえれば、『年に何回かやってくる行事』でしょうか。夫婦で協力して準備して挑戦するという文化祭のような感覚でした。あ、文化祭が終わったらなんだか寂しいですよね。でも、徐々に治療にあてていた時間を、仕事で埋めてきたので、ぽっかり穴があくような淋しさはありませんでした」

 「ただ、いつやめるか、どう納得してやめるかは、人それぞれだと思っています。私は、『もう今回の治療で終わり』と宣言してすっきり卒業しましたけれど、『お休み中』と説明する患者さんも比較的多くいます。それはそれで良いことだと思います。そう言って、徐々に心を整理して、気がつけば、『治療をやめた』と言えるようになっている。フェードアウトという状態でしょうか。その人その人で区切りの付け方があると思います。自分が納得していないのに無理にやめる必要はないと思います」

 ――今、子どもを授かるという望みがかなわなかったわけですが、これからの人生に心細さはないでしょうか。

 「私は幼い頃から、動物が大好き。漫画家にならなかったら、動物園の飼育員を目指していたでしょう。動物が命を育む姿に強い興味を持ち、感動を覚えていました。だから、自分自身が、お腹の中で命を宿して、産むこと、育てることを是非やってみたい、と思っていました。胎動や、陣痛ってどんな感覚なんだろう。生まれてきたら、すぐにハッピーバースデーを歌ってあげたいな、とか色々想像していました。夫も、子どもが大好き。付き合っている時から、『子育ては俺がやるから』と言ってくれていました。私は、『これ幸い、大好きなマンガを描き続けられる』と喜んで結婚したのです。大切な夫と一緒に子どもを育てて、お互い父として母として成長していく。楽しいだろう、素晴らしいだろうと思っては、子どものいる生活を思い描いていました。でも、そんな私たちのところに子どもはやってこなかった。でも、いま、あるのは、なんだか年をとってきたな、とかいつまでマンガを描いていられるだろうか、といったような年齢相応の不安で、子どもがいてもいなくてもある不安だけです」

 ――なぜでしょうか。

 「治療を通じて、確実に夫婦の絆が深まったからです。治療がうまくいかなかった時や、ホルモンのバランスでイライラしている時、夫は、そっとしておいてくれたり、さりげない言葉をかけてくれたり、マッサージをしてくれたりと、その時々の私の状態に応じて、上手に接してくれました。お互いの思いやりも深まりました。今振り返ると、治療の長い時間は、2人での生活を受け入れるための時間だったのかもしれません」

 「子どもを授かっても授からなくても、治療の先にはハッピーエンドが待っている、というのは、治療を始めて早い時期に気付いていました。マンガの取材で、不妊治療を経験した夫婦にたくさん出会いました。その経験で、どの夫婦も、多少なりとも治療を巡ってけんかもあるけれど、そうしたギスギスを乗り越えて、仲が深まっているという事実を知ったこともあるでしょう」

 ――博章さんも同じ気持ちなのでしょうか。

 「夫は、普段から多くを語らない人です。でも、治療を終えて1か月ほどたった昨年9月、夫婦で旅行に出かけた時のことです。そこで、思いがけず夫から手作りの『卒業証書』を受け取りました。ポケットの中に、ビニール袋に入れて大切に持っていたようです。びっくりしました。いま、作業机に置いています。何度も何度も読み返しています。口数の少ない夫が、大切な思いを、言葉にし、形に残してくれた。感謝の気持ちでいっぱいです」

(つづく)


卒業証書(全文)

 貴女(あなた)におかれましては、この度長年続けてきた不妊治療を卒業いたしました。

 毎回投薬や注射、そして手術と、精神的・肉体的、そして金銭的にも多大なる負担をかけっぱなしで、そのひたむきな努力にはただただ頭が下がります。結果として、新しい家族を迎えることはできませんでしたが、それと同じぐらい、大切な絆を得ることができたと思います。

 原稿や学校の合間に病院、そして家事と、本当に休まる時間の無い治療期間でした。これも、あなたの実直で真面目で、何とか成し遂げてやる!といった性格から来ていたのだと思います。しかし、結婚して15年が過ぎ、2人とも老いを感じるようになってきました。

 この機会に新たなる生活を始めたいと思います。無理はせず、休みながらでもいいので、残り何年一緒にいられるかはわかりませんが、ゆるゆると年を重ねていきましょう。

 これからもよろしく御願いします。

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