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[浅葉克己さん]卓球・デザイン 来た球打つ

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仲間と共に、モンゴルや北朝鮮などへの“海外遠征”も数々こなしている。「卓球は世界ルール。言葉なしでも通じるんです」(東京都渋谷区で)=藤原健撮影

 真っ赤な卓球シューズでさっそうと登場し、球を次々と打ち返す。ユニホームにあしらわれているのは、中国の少数民族が使う「トンパ文字」。最近デザインするポスターなどで好んで使う象形文字だ。

 卓球経験のある記者が相手をしてもらった。速くて力強い球が正確に打ち返され、先にミスをするのはたいていこちら。年齢は半分ほどなのに、汗だらけで息の上がる記者に対し、平気な様子で「結構いい球を打つじゃない」。とても72歳とは思えない。

 神奈川県の海の近くの街で生まれ育った。小学校のころ、近所に卓球台を開放してくれる店があり、そこに入り浸った。「夜10時までやっていて、親にこっぴどく怒られたことがあります」

 子どものころから絵を描くのが好き。スケッチを見た教師に薦められ、工業高校の図案科に進学した。「スケッチブックに、いろんなものを模写していました」

 その一方、卓球部にも入って熱中した。しかし、高校最後の大会、1回戦で敗れたことがショックで、ラケットを帰りの駅のゴミ箱に捨てて、やめてしまった。「本当に負けず嫌いで腹がたって。二度とやらないと思っていました」

 卒業後、県内のデパートに就職したが、「もっと勉強したい」とデザイン学校に入学。出合ったのが、文字だけを使ったデザイン「タイポグラフィー」だった。「絵もいいけど、文字のデザインも深い世界があることに気づきました。文字はコミュニケーションの元でもありますから」

 その後、デザイン会社に入り、こうした勉強の成果が次々花開いた。化粧品会社や食品会社など、大手企業のポスター広告デザインを手がける。会社を通さず、アルバイトで手がけた仕事も多かったという。「正規の仕事はマル、アルバイトはサンカクと呼ばれていて、アルバイトばかりやっていたから、『サンカクの浅葉』と呼ばれていましたよ」とおおらかだった時代を振り返る。

 再び卓球を始めたのは34歳のころ。仕事で出会ったカメラマンが卓球経験者だと知り、再びラケットを握るようになった。「早く仕事終わらせて卓球しよう、って誘ってました」。ピンポン(pingpong)をもじったチーム「東京キングコング」を結成し、力を入れ始めた。

 再開して気づいたのは、「来た球を打ち返す」という単純な事実だ。「仕事にも通じると思います。与えられた仕事は素直に引き受け、いいところに打ち返す。そうすると、また返ってきます」

 1982年には、アメリカの映画監督ウディ・アレンが「おいしい生活」という書を掲げる西武百貨店のポスター広告をデザインし、話題を呼んだ。最近ではトンパ文字を使った広告デザインが評価されるなど、仕事の幅が今なお広がっているのも、卓球のお陰なのかもしれない。

 今は週1回、都内で練習をしている。日常生活で眼鏡は必要なく、「視力がいいのは卓球のお陰。運動することで、肉体も頭脳も発展しているはずです」。卓球で鍛えた足腰で街をめぐり、観察した成果をデザインに生かす。

 問題は、一度始めると熱中してしまい、なかなかラリーをやめられないこと。「楽しくやればいいのにね。まだ強くなりたい、と思ってしまうのが悪い癖でね」。今でも現役でバリバリと仕事を引き受ける第一線の姿がプレースタイルに重なって見えた。(崎長敬志)

 あさば・かつみ アートディレクター。1940年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所を経て、75年に「浅葉克己デザイン室」を設立。さまざまな企業のCMなどを手がける。2002年には紫綬褒章を受章した。

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