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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[黒岩由起子さん]「団鬼六」を貫いた父

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手術受けず 旅行や宴会も

「人生は面白く生きなきゃね、と父とはよく話していたものです」(東京都内で)=関口寛人撮影

 作家の団鬼六さんは昨年5月、79歳で亡くなりました。食道がんと告知されても手術を選択せず、自由に生きて最期を迎えました。

 長女の黒岩由起子さん(44)は、「団鬼六らしい最期でした。ただ、娘としては、どんな治療をしてでも生き続けてほしい気持ちもありました」と振り返ります。

食道がん告知

 父が食道がんを告知されたのは2010年1月。喉に異常を感じて受けた検査で、医師から「がんです。放射線治療で小さくしてから手術を」と告げられると、父は「手術はええですわ」とあっさり断りました。

 放射線治療を受けた後の2月に、改めて医師との話し合いの場があり、私も駆けつけ参加しました。医師は病状が深刻であることや転移の恐れがあることを説明しましたが、父は聞き入れません。

 病室に戻り、私は「管だらけになっても、パパには生きてほしい」と訴えました。でも父は「俺の生きたいように生きさせてくれ。ほんまにありがとう。えらいすんません」と頭を下げたのです。私は、ただ泣くことしかできませんでした。

  団鬼六さんは独特の性愛世界を描く官能小説で知られ、映画化や舞台化された作品も数多い。50代後半に一度断筆し将棋雑誌の発行に関わったことも。借金を
抱え苦境に陥ることがあっても、小説を書き続け乗り切った。自らを「快楽主義者」と称し「死ぬまで酒とたばこ、そして女はやめない」と公言するなど型破りな生き方でも知られた。

好きに生きる

 自分の好きなように生きてきた父にとって、手術を受けることは、多くの時間を治療に費やし、楽しみも我慢して自由を失うことのように思われたのでしょう。手術となると、当時78歳だった父の体力が持つかどうか不安もありました。告知後も父は小説の執筆に全力を傾けていました。

 私は、作家・団鬼六の秘書でもあります。それなら、父の選択を尊重し、秘書として父が父らしく生きられるように力を尽くそう。そして、娘として父・黒岩幸彦の生活を精いっぱい支えよう、と。

 父が書こうとしていたのは雁金(かりがね)準一という大正期に活躍した囲碁棋士の生涯。仕事をしすぎると病状が悪化する恐れもあります。でも父から仕事を取り上げたら生きる意欲を失ってしまうでしょう。

 私は、父の仕事場の実家に毎日のように通って、父の意欲と体力を見ながら仕事量を調整。食欲がでるようメニューも工夫しました。ただ父の体力は徐々に低下していきました。いつも2階の仕事場で執筆していましたが、次第に1階の居間で横になっていることも増えてきました。

肺がんも判明

  10年12月、肺がんであることも判明。酸素吸入器を付けることもあった。だが、にぎやかに騒ぐことが好きだった鬼六さんは、これまでと同じように旅行や宴会を計画した。11年4月には、編集者や棋士、バーのママらを引き連れて花見も楽しんだ。由起子さんは、おぼつかない足取りの鬼六さんを支えた。

 この頃から体調を崩して入退院を繰り返すようになりました。気弱な姿を見せたのは5月2日。私が実家に到着するなり「霊安室に連れてってくれ」とすがるように言うのです。父の前では泣くまいと決めていましたが、そんな姿に手を握り背中をさすりながら涙が止まりませんでした。

 入院し、翌日には意識が混濁していたようです。まるで自分が死んだようなことを言い始め、私が「一度は本当に死んで、生き返ったんじゃない?」と言うと、納得したかのようにカステラやうな重をもりもり食べ始めました。その頃にはおかゆでさえ食べられなくなっていたのに。奇跡が起きたのかと思いました。

 帰り際に交わした「おれ、生き返ってうれしい」「私もうれしい」という会話が最後になりました。

  再び意識が混濁し、3日後に鬼六さんは息を引き取った。由起子さんは今、鬼六さんが残した原稿を本にしようと力を尽くしている。近く、新刊「落日の譜 雁金準一物語」が書店に並ぶ。

 父は、愛犬についてのエッセーも書いていました。12年前から飼っている愛犬アリスです。亡くなる1週間前につづった原稿にはこんなくだりがありました。

 〈アリスは老衰し、私の寝室がある二階へもう上がれない……二階から「アリス~」と声をかけると、下からアリスが()えて答える。「アリス~」「ワンワン」(「愛人犬アリス」より)〉

 優しさがあふれる私の大好きな文章です。父は破天荒な人でしたが、私たちにはとても優しい人でした。

 父がいなくなって、とても寂しい。ただ、父は最後まで「手術すればよかった」と翻意することはなかった。団鬼六の生き様を貫いて、格好良かったと娘ながら思っています。(聞き手・福士由佳子)

 くろいわ・ゆきこ 1967年、神奈川県生まれ。団鬼六さんの長女。大学卒業後、大手文具メーカー勤務を経て、2007年から父の秘書を務める。闘病中の思いをつづった父娘の共著「手術は、しません 父と娘の『ガン闘病』450日」(新潮社)を昨年刊行した。

 ◎取材を終えて 幼い頃、由起子さんは父の職業を「推理小説家」と聞かされていたという。父の官能小説を初めて読んだのは結婚してから。「切なさやいとおしさが感じられる作品もあるんですよ」と笑う。

 本人の望むような最期を迎えられるかという悩みは、多くの家族に共通するものだろう。「私がするべきことは、父が団鬼六らしく生きるために力を尽くすことだった」という由起子さんの言葉が心に響いた。

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