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[今陽子さん]交流サイト 解き放つ過去

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「時間があるとフェイスブックをのぞいている。ここは私にとって『大人の社交場』。書き込みって、楽しいですよ」(東京都内で)=多田貫司撮影

 インターネットの交流サイト「フェイスブック」に、恐る恐るデビューしたのは、還暦になって迎えた今年4月。苦手だったパソコンに、今では毎日のように向かい、近況やコメントを発信している。新手の交流の楽しさにハマって、10歳代から70歳代までの「友達」は1600人を超えた。

 「髪形を夏スタイルにしました。スッピンの私で失礼(笑)」。写真付きでそう書き込みをすると、「陽子さん、まだまだいけますよ」などと感想が届く。すかさず、「何がまだまだよ!」と打ち返す。自分の過去の振る舞いを巡り、ファンの人たちで激論になった時は、「今日はこのぐらいにしておかない?」と、なだめ役に回ったことも。

 書き込む作業は人任せにせず、すべて自分でやっている。有名人が実名でサイトに書くと、揚げ足を取られないかと心配する見方もあるが、「人生経験を重ね、心地いい距離感をどう保つかは心得ている。友達が増えれば世界も広がる。ただ、若い頃の私だったら、プライドが邪魔してやっていなかったと思う」。

 ポップスのグループ「ピンキーとキラーズ」のボーカルとして、16歳で一躍脚光を浴びた。黒い帽子とパンタロン姿で歌った「恋の季節」が大ヒット。10歳代で運転手付きの外車に乗り、高級ホテルのスイートに泊まった。警備やお付きの人に囲まれて歩く女王様のような生活で、「天狗(てんぐ)になっていた」と振り返る。

 20歳で独り立ちし、その後、グループは解散。人気が高かっただけに、ほかのメンバーは継続を望んだが、振り切った。「若かったし、ソロで活躍したい思いが強かった。わがままで、キラーズの兄貴たちには迷惑をかけた」

 その後、生活は暗転する。22歳で結婚したが、約4年後に離婚。「やけっぱちにもなって」、高額のギャラを示されたヌード写真集の仕事を受けた。ファンには幻滅され、事務所に苦情が殺到。いい仕事が来なくなった。

 逃げるようにして、1981年に単身、ニューヨークに渡った。「ミュージカルの分野で活躍したい」というデビュー前の夢に立ち返り、必死に歌とダンスを勉強した。貯金をはたいて足かけ2年。「『ピンキー』でない自分に戻り、米国で過ごした日々が『今陽子』に生き返らせてくれた」

 帰国後、ミュージカルの仕事が少しずつ増えた。気づくと、「ピンキー」という(よろい)をぬいで、舞台女優として活躍する自分がいた。昔なら「『私はスター』というプライドが邪魔して乗れなかった」電車にも、一人で乗れるようになった。

 そうした中、50歳を過ぎて出会ったのがパソコンだった。周囲にパソコンを使うスタッフが増えて、興味を持った。ミュージシャンの知人に、繰り返し教えを請うた。今では、プライベートで旅行に行く時も、ホテルを予約する時も使う。

 「『もう60』じゃなくて『まだ60歳』。私なんてただのおばさんと思えば、気も楽になる。過去の自分を解放できたから、フェイスブックも楽しめている」。そう言うと、いたずらっぽく笑った。(大津和夫)

 こん・ようこ 歌手、女優。1951年生まれ。愛知県出身。作曲家いずみたく氏に師事し、15歳でソロデビュー。「ピンキーとキラーズ」で「涙の季節」などが人気を博す。今年8月、「60歳からのフェイスブック 今からはじめるソーシャルライフ」(マイナビ)を刊行した。

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