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[東海林のり子さん]ライブ声援「ロックの母」

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好きなバンドのインタビュー録も手がけた。「ライブは体力を使うけど、開演中はのりっぱなしなので、疲れは感じませんね」(東京都中央区で)=川口敏彦撮影

 毎月少なくとも2回はライブ会場へ足を運ぶ。ロックの激しいメロディーにのって、約2時間、若者と一緒に声援を送り、見よう見まねで独特の振り付けをして盛り上がる。手を上げ下げしたり、ステップを踏んだり。「動きが速く、ついて行けないこともあるが、ピタッとそろったときは爽快」だ。

 78歳。会場で同世代を見たことはないが、気にならない。頭を上下に激しく振る「ヘドバン(ヘッドバンギング)」で、後列の女性の黒髪がバッサバッサと顔に降り掛かってくることにも、もう慣れた。

 「ものすごいエネルギー。ライブ会場に行くと、元気が体の中にしみ込んできます」

 様々な形態があるロックバンドの中でも、髪形やメークにこだわる「ビジュアル(V)系」がお気に入り。「耳でも目でも楽しめる。会場に集まるファンの個性的な衣装を見ていても面白い」と話す。

 「全く興味がなかった」というロックと出合ったのは、リポーターをしていた20年ほど前。V系の人気ロックバンド「X JAPAN(当時X)」のラジオ番組に出演したことがきっかけだ。

 人づてに聞いていた型破りな印象と異なり、礼儀正しいメンバーに好感を抱いた。出演後に招待されたライブではファンと一体となって作り出される空気に酔いしれた。

 ちょうど、少年事件の取材に明け暮れていた頃。現場周辺の聞き込みで、「うるせぇ」と言ってきたり、突き飛ばしてきたりした子と一見変わらぬ容姿の若者が、目をキラキラと輝かせて、ステージに集中している姿にも、ちょっとした驚きと感動を覚えた。

 「ロックいいな。若者、みんな純粋でまじめだな。もっと知りたい、かかわりたいと思いました」

 自ら「X JAPAN」の追っかけ企画を作り、ワイドショーで放送すると大反響。若者には「ロックを応援する同志」と思われるようになって、少年事件の取材現場では、相手から声を掛けられたり、「東海林さんなら話す」と言われたりする機会が増えた。

 「独占インタビューも結構取れましたね。ロックが、何事も先入観で判断してはいけないということに、改めて気づかせてくれた」

 ライブ会場では、今も若者が「ロックの母」として、親しみを込めて「ママ」と呼ぶ。

 仕事では「できる限り依頼は断らない」をモットーに走り続けてきた。仕事以外も同じこと。「行ってみる、会ってみる、話してみる。年齢なんて気にせずに。そうすれば、いつでも新たな知識や楽しみ、つながりを得られると思う。私の場合はロックでした」

 リポーターの仕事は、阪神大震災の取材を機に一線から退いたが、V系の追っかけは今なお現役。雑誌などで新進バンドを発掘しては、ライブ会場へ向かう。「音を整えたCDを聴いても楽しめない。私はラジオもテレビもロックも、やっぱり生なんです」と笑う。

 尽きない好奇心と現場主義は、事件を追いかけて全国を飛び回っていたリポーター時代と一緒。1歳半の孫が高校生になったとき、一緒にライブ会場へ行くことが目標だ。(斎藤圭史)

 しょうじ・のりこ 1934年、埼玉県生まれ。ニッポン放送アナウンサーを経て、フリーに。「現場の東海林です」から中継を始める事件リポーターとして、ワイドショーを中心に活躍。近年はテレビ出演のほか、働き方や生き方などに関する講演活動を精力的に行っている。

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