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カルテの余白に

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仲原元清 岸和田盈進会病院リハビリテーション部主任(上)言葉取り戻す訓練介助

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 脳への障害などで昨日まですらすらと話せていた言葉が突然、出てこなくなる。もどかしさやいらだちを抱える患者に寄り添い、言葉を取り戻す手助けをするのが「言語聴覚士」だ。

 1999年に国家試験が始まった、歴史の新しい医療専門職だが、その重要性は高まっている。2期生の岸和田盈進(えいしん)会病院(大阪府岸和田市)リハビリテーション部主任の仲原元清さん(36)は、先駆者の一人として言葉を失った患者と向き合っている。

言葉を発する機能が低下した患者に正しい発声の仕方を教える仲原元清さん(岸和田盈進会病院で)=守屋由子撮影

 

「心の旅」見て「これだ」

 <1本の映画が、進むべき道を決めた>

 高校時代から漠然と医療の分野で働きたいと思っていました。

 部活のラグビーで腰を痛めた時、親身になって治療してくれた理学療法士の姿を目の当たりにして、患者に身近な仕事を選ぼうと思った時、「心の旅」という米国映画を鑑賞しました。ハリソン・フォード演じる弁護士が強盗に襲われて脳を負傷し、失語症になるのですが、彼に言葉を発させようと機転を利かせるリハビリのトレーナーが格好良かった。「これだ」と直感しました。

 <初めての患者は、言葉は次々と出てくるが、内容が意味不明だった。話せるのに会話が成立しない。これも失語症の一つだった>

 大学4年の病院実習で、左脳のウェルニッケ野という言語を理解する部位を損傷した80歳ぐらいの男性と出会いました。

 病名は「ウェルニッケ失語症」で、体にまひはなく、言葉は滑らかですが、何を言っているのか全く分からない。こちらが投げかける言葉を理解できないわけですから当然なのでしょうが、当時は戸惑いました。

 本人に病気だという認識がなく、放っておくと病院を抜け出そうとしました。ずっと男性の後をついて回り、身ぶり手ぶりで必死に「こっちは駄目です」「あっちへ行きましょう」と声をかけ続けました。「入院せないかんのや」と理解してもらうのに、1週間くらいかかりました。

理想と現実のギャップ

 <働き始めると、理想と現実のギャップに悩んだ>

 けがや病気が治るように、トレーニングによって患者は皆、言葉を取り戻すものだと思っていました。しかし、実際には治ることなく、退院していく人も多いのです。

 思ったような言葉が出せないと、人はストレスを感じます。繰り返し言っても相手に伝わらないと分かると、会話自体をやめようとします。悲しそうな患者の表情を見るたび、無力感に襲われました。

患者と家族結ぶ手助け

 <患者の言葉が気持ちを救ってくれた>

 脳出血のため右片まひとなった、60歳代の女性患者がいました。話すことはほとんどできず、元通りになる見込みは少なかった。身ぶりや手ぶりで意思を伝えることさえ困難な状態だったのです。

 しかし、「ありがとう」「こんにちわ」など、定型の言葉を繰り返すリハビリでは、私と一緒に声を出し、「あー」と発声を練習しました。イラストを指さして「これは何?」と問いかけ、「り・ん・ご」と答えてくれました。必死な様子はよく分かりました。

 リハビリを始めてから約3か月後、女性の娘さんが見舞いに来た時のことです。ゆっくりでしたが、女性がはっきりと「あ・り・が・と・う」と。その場に同席していた私にも向けられたように感じました。

 しばらくして女性は亡くなりましたが、娘さんからは「ありがとうございました」と感謝されました。何か一つ、家族とつながるものを残す手伝いができたのかもしれない。患者の役に立てたのかもしれない。ようやく、そう思えました。(聞き手 冨山優介)

1976年生まれ、堺市出身。2000年3月、国際医療福祉大(栃木県)を卒業後、協和会病院(大阪府吹田市)などでの勤務を経て、2011年4月から現職。
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