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[芹洋子さん]再起図る人へ「応援歌」

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今年、レコードデビュー40周年を迎えた。「歌手という仕事を続けてこられて、本当に幸せです」(東京都内で)=米山要撮影

 北海道網走市の能取(のとろ)湖畔。先月中旬、地元のイベントで、透き通るような歌声を響かせた。35年前に発表した曲「サンゴ草咲く日に」。湖面に群生する深紅のサンゴ草(アッケシソウ)を題材にした、出会いと別れの歌だ。

 生育環境を良くしようと設置した堤防などが裏目に出て、サンゴ草はここ数年、すっかり色つきが悪くなってしまった。再生を目指す地元の人たちを励まそうと、自らイベントに駆けつけた。

 歌い終えて、声に力を込めた。「『サンゴ草基金』を作って、私も全国の皆さんに協力を呼びかけます」

 小学生の頃から、テレビののど自慢番組で活躍。高校卒業と同時に上京し、歌手生活に入った。以来、「四季の歌」「おもいでのアルバム」などのヒット曲を連発。老若男女に愛され、人気を博した。

 だが、1991年5月、40歳の時、順風満帆の日々が暗転する。横断歩道を渡っていた際、バイクにはねられて頭を強打。1週間後、意識は回復したが、約600曲ある持ち歌のメロディーも詞も思い出せない。自分が歌手であることさえ分からなくなった。

 「歌を覚え直すことが、脳のリハビリになる」という医師の勧めで、2か月半後に復帰コンサートを計画。約30曲を一から覚えることになった。

 幸い、楽譜は読めるし、音感にも問題はない。新人歌手のように繰り返し音を聞き、歌詞を口ずさんだ。事故の後遺症による頭痛がひどい時は、横になって一休みし、再び、楽譜を手に取った。

 コンサート当日。会場には約3000人が詰めかけた。ステージに立つと足が震えたが、変わらぬ美声を披露した。そして最後を飾る「四季の歌」。春、夏とよどみなく歌ったが、秋の節で歌詞が出てこない。すると会場から歌声がわきあがり、大合唱となった。

 ファンの後押しを受け、秋と冬の節を歌いきり、「再起できる」と確信した。その後も歌を覚え直し、コンサートを重ねていった。

 復帰後の自分は、「応援歌手」だと言う。歌うことで社会と関わり、聴く人や地域を元気づける――。2003年に始めた各地の合唱サークルとの合同コンサートは、地域活性化にも役立つと好評で、開催数は150回を超える。

 2年前から都内のホテルで定期的に開くコンサートでは、来場者にも気持ちよく歌ってもらおうと、スクリーンに歌詞を映し出す。「歌詞集を読みながらだと下を向いてしまうでしょう。これなら前を向いて、元気よく歌えます」

 今月下旬発売のCDに、保育園の卒園式などで歌われる曲「空より高く」を収録した。東日本大震災後、被災者への応援歌として、岩手県のラジオ番組でリクエストが相次いだ曲だ。「立ち上がろうとする人たちを、添え木のように支えることができたら……」。そんな思いを込めて選んだ。

 コンサートで、事故の体験を語ることもある。でも最後は必ず、「逆境こそ最大のチャンス!」「チャレンジに年齢制限なし!」と呼び掛ける。これからも、各地を回って元気を配達していくつもりだ。(安田武晴)

 せり・ようこ 歌手。1951年、大阪府出身。70年、NHKの歌番組のレギュラーとして人気を集め、72年、「牧歌~その夏~」でレコードデビュー。76年の「四季の歌」はミリオンセラー。叙情歌の第一人者として、国内だけでなく中国でもコンサートを重ねている。

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