元競泳日本代表 萩原智子(はぎわらともこ)さん 32
一病息災
[元競泳日本代表 萩原智子さん]子宮内膜症(1)生理痛 いつもと違う
2000年シドニー五輪で、女子200メートル背泳ぎで4位に入るなど2種目で入賞。
実力とともに明るい笑顔で人気を集めた。愛称は「ハギトモ」。しかし、04年のアテネ五輪の代表を逃し、24歳で引退。その後はスポーツキャスターとして活動し、26歳で結婚した。
「30歳になる前に、何かに挑戦したい」と思っていたころ、解説者として08年北京五輪の開会式に臨んだ。闇に浮かぶ五つの輪を見た瞬間、「向こう側(出場する側)になりたい」との思いが胸にこみ上げた。目に涙があふれた。
「アテネ代表に漏れて、『もうやり残したことはない』と、きっぱり水泳をやめ、後悔もなかったのに。自分でも驚きました」
09年、5年ぶりに現役復帰した。
思うように泳げない時期が続き、「やめればよかった」と思っていると、突然できたりする。水泳を始めた頃のようで楽しかった。
10年9月にはアジア大会代表に選ばれた。自己記録も更新。「いくつになっても、チャレンジしていいんだ」。ロンドン五輪に向け、手応えを感じた。
体の変調に気づいたのは、その年の秋。もともと生理痛は強い方だったが、市販薬を飲んでも痛みが軽くならない。腹痛だけでなく腰痛もひどくなった。
いつもとなにか違う、と感じたものの、「年のせい」と思いこんでいた。
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