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[三遊亭円丈さん]狛犬めぐり 創作の源
少し離れて、全体の形や質感をじっくり眺める。写真も撮る。近寄って体をなで、さすり、時に頬ずりもする。ペットのように接する対象は、犬は犬でも狛犬だ。
神社の境内や参道で参拝客を迎える、石造りやブロンズの狛犬に引かれる。「庶民的だし、長い間雨風にさらされて少し劣化した感じもいい」。トレードマークの眼鏡の奥にある瞳が、優しげに緩む。
新作落語の奇才。駄菓子への思いを熱く語る「グリコ少年」、郊外暮らしの悲哀を表した「悲しみは埼玉に向けて」など、名作を次々生み出した。
最近は、狛犬をつくった石工にも関心を寄せる。狛犬づくりと自分の芸には通じる部分があると感じる。狛犬は架空の動物で、伝統や形式にのっとっていれば、後は作り手の独創性が物を言う。自分は、昭和の名人とうたわれた師匠、三遊亭円生からたたき込まれた古典の土台があるからこそ、奇想天外な新作も生きる。
「石工がどんな人間だったのかを考え、そいつと酒を酌み交わす姿を思い浮かべるんです。でも、シャイで無口な人だろうから、ほとんど会話にならないかなあ」
狛犬を意識し出したのは20年ほど前。都内の公園の片隅に、変な形の石があった。「石を割って中を調べるため、中学生の頃はいつも腰に金づちをぶら下げていた」ほどの石好き。よく見ると狛犬だった。顔の一部が削り取られ、恨みがましそうな目をしているようだった。
この頃、40代後半。落語家生活は30年近くになっていた。しかし当時、噺家の仕事に悩んでいた。「いい新作が作れないし、本当はシャイな自分に芸人は合わないんじゃないかと考えもした。心のバランスが崩れていた」と振り返る。そんな悩める自分と哀れな狛犬の姿には、重なるものがあった。
狛犬のいる公園に何度か通ううち、他の狛犬も気になりだした。「そうしたら、一つ一つに個性があって、みな生きているように思えてきた」
凝り出すと止まらない性分。近場はもちろん、各地の落語会に呼ばれたついでに狛犬めぐりをし、訪れた神社は全国4000か所を超えた。年代や地域、形状などで狛犬を分類して著書にまとめたり、同好の士を募って「日本参道狛犬研究会」を発足させたり。自らデザインを考えた狛犬を神社に奉納までした。
狛犬を見ると、ほっとすることができた。そのうち、弱い自分を受け入れられるようになり、悩みも消えた。
再来年には70歳、そして落語家人生50年を迎える。ここ数年は古典落語にも力を入れ、円熟味を増している。でも、本人は「自分のピークを90歳ぐらいに持っていきたい」と、枯れる様子はない。
順調な仕事の合間の狛犬めぐりも、まだまだ続ける。神社は全国に8万か所以上あるからだ。「狛犬がいるのはその半分としても、回りきるのは大変だよ」。芸の道同様、こちらも終わりがなさそうだ。(田渕英治)
さんゆうてい・えんじょう 1944年、愛知県生まれ。64年に三遊亭円生に入門。78年真打ち昇進。10月11~20日、国立演芸場(東京)で「円丈かぶき噺」でトリを務める。
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