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小川恵子の漢方で健康生活

yomiDr.記事アーカイブ

漢方薬って保険がきくの?

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 漢方のお話をさせていただく機会に一番多く受ける質問の一つが、「漢方薬って保険がきくのですか?」というご質問です。でも、そんな質問をされるのも無理はありません。実は漢方エキス製剤が保険適用になったのは1967年からで、現在のように148処方の漢方薬と約200種類の生薬に健康保険が適用されるようになったのは1975年以降のことなのです。その様な意味で1970年代は漢方にとって過渡期でした。では、それ以前はどうだったのか? 今回から、そんなお話をしながら、近代漢方の歴史を簡単に振り返りたいと思います。

 金沢の誇る名勝、兼六園は、国内外からの観光客で賑(にぎ)わいます。兼六園のおとなりの金澤神社に、湯本求真という大正・昭和時代の漢方医の顕彰碑があります。「東西医学融合統一」と記されています(写真)。湯本先生がいなければ、日本の漢方医学は今日のように病院で使えるようにはなっていなかったでしょう。その意味では、金沢は、近代日本漢方発祥の地と言えるのです。

 石川県崎山村(今の七尾市)の鵜浦に生まれ、1901(明治34)年、金沢医学専門学校(現在の金沢大学医学部)を首席で卒業しました。金沢で開業中の34歳の頃、疫痢のために3歳の長女、祖父母を2ヶ月間で相次いで失い、自らの医学に絶望しました。そのころ和田啓十郎は『医界之鉄椎(いかいのてっつい)』を出版したばかりでした。『医界之鉄椎』は、医学界に鉄のハンマーを振り下ろす、という意味で、西洋医学と比較した漢方医学の長所を理性的かつ情熱を持って訴えた本です。湯本求真は『医界之鉄椎』を読んで感激し、以来、漢方医学の研究に没頭しました。そして明治以降、迫害されていた漢方医学の復興に力を尽くしました。1917 (大正6)年、初めての著書『臨床応用漢方医学解説』を刊行、1927 (昭和2)年、近代漢方の教科書と言える『皇漢医学(こうかんいがく)』第一巻、第二巻、次いで翌年、第三巻を自費出版しました。享年66歳で急逝されるまで、漢方医学に対する熱意は変わりませんでした。『臨床応用漢方医学解説』『皇漢医学』は、中国でも翻訳され、やはり同様に衰退していた中医学の復興に貢献したと言われています。

 このような漢方復興運動を経て、現在のように148処方の漢方薬と約200種類の生薬に健康保険が適用されるようになったのです。日本は東西医学融合の先進国と言えるかもしれません。

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漢方ブログ_小川恵子87

小川恵子(おがわ けいこ)

愛知県名古屋市生まれ

金沢大学附属病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科 和漢診療外来 特任准教授

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2件 のコメント

驚きました

ももパパ

小川先生、今日私たちが保険で漢方薬を処方することが出来ることを知って、感動しました、大学生の時には一度も聞いたことがありませんでした。ありがとう...

小川先生、今日私たちが保険で漢方薬を処方することが出来ることを知って、感動しました、大学生の時には一度も聞いたことがありませんでした。

ありがとうございました。

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問題あり!

伊達邦彦

>>このような漢方復興運動を経て、現在のように148処方の漢方薬と約200種類の生薬に健康保険が適用されるようになったのです。抽象的です。漢方薬...

>>このような漢方復興運動を経て、現在のように148処方の漢方薬と約200種類の生薬に健康保険が適用されるようになったのです。

抽象的です。

漢方薬には治験の結果が定かではないものも多く、厚生省(当時)が認可した背景には、当時の日本医師会会長、武見太郎氏の政治力が働いたとのインサイドストーリがあります。

簡単に言うと、あまりにも簡単に認可された、という事です。

政治力が働くということです。

海外では認可されている医薬品が国内では承認されない問題も同じことが言えます。

もう一つおまけに、一定の効果が確認できる丸山ワクチンはついに認可されることなく現在に至っています。

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