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23件 のコメント

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私も同じ体験をしました

kenken

8年前に父を失いました。悪性リンパ腫の末期でした。
生きることに貪欲な生命力の強い頑張り屋の父でしたので、意識を失ってからも、
イロウ等の延命措置を医師に勧められ、長男として受諾しました。
それが恐らく父の意思だろうとその時は思ったからです。
最後は身体中にパイプをつながれ、苦しそうな表情のまま亡くなりました。
その数年後、私は腸閉塞で手術を受け、一週間同じく身体中にパイプを繋がれて、
父の苦しみの一部を初めて理解することが出来ました。実に辛かったです。
父はあんな医療を望んでいなかったと、今は大変後悔しています。

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医者から言って欲しいです。

ならなら

家族は医者から「こうすれば生きられる」という選択肢を出されたら、「いらないです」とは言えないと思います。
胃ろうにしろ、他の延命処置にしろ、医者の方から「このまま穏やかに逝かせてあげる方が本人にとって一番良いのではないでしょうか」と言って欲しいです。

なぜなら、家族は後々苦しむからです。
本当はあの時、ああすればもっと長く生きられたんじゃないか。こうすればもっと長く生きられたんじゃないか。自分が楽したいばっかりに見殺しにしたんじゃないか。親は生きたいとおもっていたんじゃないか。介護疲れの方が大きいから、楽に死なせてあげたいと思ってしまったんじゃないか。
そういう繰り言を延々と遺された者たちは後になればなるほど考え出すんです。

だから、今の終末医療に意義があるなら、医者の方から、残されることになる家族が後で自分を責めて苦しまなくて済むような言い方をしてほしいと思います。

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知らなければ…

ケアマネ

老人ホームに勤めています。

私も「自己選択・自己決定」が基本と考えます。
しかし、選択・決定するための材料を持っていない高齢者が多いように感じます。
例えば、食事が摂れなくなったらどんな処置があるのか、経管栄養?点滴?
それをするとどうなって、しないとどうなるのか。
知らない上に漠然とした恐怖も手伝って、敬遠してしまうようです。

知らなければ選択もできません。
「自己選択・自己決定」のため、正しい情報を提供することも医療、福祉に携わる者の役割だと感じています。

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キーワードは 胃ろうより慰労?

寺田次郎 関西医大不名誉享受

おめでとうございます。
胃ろう増設の適応に関して、各学会で慎重を要するコメントが出ていますね。
それらが実行されるのにはまだまだ時間がかかるとは思いますが、宮本先生などが訴えていった結果だとは思います。
読売新聞とはいえ、インターネットでの記事ですから、目にされる方も限られてくるとは思いますが、違和感を感じていることを訴えて続けていくというのは大事なことかもしれませんね。

ところで、先日、宋文州さんがツイッターで仰られていました。
核や軍備をめぐる問題で「結局最後は人間の心の問題だ。引き金を引くのは人間だ。」と。

これって医療にも言えるかもしれません。

ものや技術は人間の判断なしに悪さをしません。

確かに「あったら使いたくなる」のは人のサガで、あるがゆえの不幸というものはあるかもしれません。
けれども、根拠はありませんが、ないよりはあった方が良いと思います。
時に出てくる人間の弱さを封じ込める仕組みを考えていけばいいだけのことですから。

とはいえ、現実にそれを作って実行していくのは大変かもしれないですね。

頑張ってください。

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日本の社会、伝統などを踏まえた上で

海外在住者

昨年日本に住む両親を亡くしました。胃ろうを付けらていた認知症父の死はむしろ遅すぎたくらいでした。外見を気にしていたダンディな父でしたので、息を吸ってはいてしかない父画本当に気の毒でした。認知症の「お蔭で」、本人は分かりませんでしたが。



その父を「生かせた」のは、母の自己満足のため。父を看ることによって、他人から褒めてもらう以外に生きがいはなかったからです。〔私は「老老介護」に反対しました。)



父は最期まで母に「生き甲斐=存在理由」をあげていたわけでしょうか。しかし、この父の存在理由は母のためであって、本人の為ではありませんでした。母は、こんなことには全くの無理解。「パパがきれいなお尻をしているって何時も褒められているのよ」と嬉しそうな自分のしかありませんでした。



しかし、無理をして看護した為、その母も病気が見つかったときには既に遅し。あっという間に逝ってしまいました、まだまだ十分に残りの人生を楽しめるだけ若い母でしたが。



日本の文化、習慣、宗教などを考えることなく、母を理解することは出来ませんでした。全く普通の生き方をしていても、それぞれの人間にどれほど これらのことが影響しているか、とても考えさせられました。



私自身、海外在住というお蔭で、子ども達も「浪花節的」情緒論はありません。やっと日本のことを心配しなくてもよくなった現在、この国と日本の比較文化のようなことを研究してみようかと思っています。



でも、今は、「疲労回復」時期だと思ってのんびりしています。父母のことが終ったとたん、私のほうが種々の病気です。本当に心と体が繋がっていることを思い知らされています。



こうして最期まで教えてくれた私の親。素晴らしい教師。心から感謝! 私の子ども達のためにも、残りの人生 最期まで自分なりの「いい」生き方をしていきたいと思います。

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就職がいいでしょう

もうすぐ高齢者

>・・・まあ、転職も面白いかもしれませんね。

だと思いますよ。

御両親を安心させてください。



それでは。

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加木 久毛子様へ

宮本顕二、礼子

貴重なコメントありがとうございました。書かれている内容について関心があります。メールで直接連絡をとらせてください。
読売新聞ヨミドクター編集部(yomidr@yomiuri.com
)へ連絡いただくようお願いいたします。

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「自然」と感じられる範囲

寺田次郎 関西医大不名誉享受

「現代日本社会においては」、食べて吐いたものを子供に食べさせるのは「不自然」に相当すると思います(別の社会では自然でも)。



遺伝子導入の技術を用いて、微生物に特定の物質を生産させるのは「不自然」ですが、それによって得られた物質を知識と知恵に基づいて適性に利用するのは「自然」なことです。



言い換えれば、社会=時代や地域によって、自然、不自然の判断・感覚は異なってくるということです。



「常識の範囲内」という言葉がありますが、それに近いでしょうか?

明確な線引きがある場合もありますが、ある一定の幅の中に「自然と感じられる行為」は存在しているということです。

その範囲の中での自然・不自然の判断・感覚は状況によると考えます。



「自然死」という感覚も視点によって変わります。

途上国での死亡原因はたいてい感染症・飢餓です(場合によっては他殺・虐殺も)。

ならば、「自然死」と考えることもできます。

癌や心疾患などの(根本的な意味で)慢性疾患で死ぬのは人類の長い歴史では「不自然死」と考えることもできます。



そんな中で、「現代日本における自然死」を考えれば・・・

まずは、明らかな「自然死」・「不自然死」を決めるのがわかりやすいかもしれません。

宮本先生が提示されたいくつかの状況は明らかにそうでした。



・・・まあ、転職も面白いかもしれませんね。

医者になるのと、やるのと、出世するのに必要な能力は異なるので。

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「自然にとは」がテーマでしょう

もうすぐ高齢者

医療って人為的に見えているだけでは?

自然界にあるものの範疇で利用しているだけですから。

動物だって医療をしてます。

草を食べて吐いたり、母が子の便を食べて自ら製薬会社になって乳を与えたり。

一度胃に入れて出して餌を雛に与えたり、まさに胃ろうでしょう。

医食同源でしょうね。皆生物はやってます。



人がやろうとしても自然界に原理が存在しなければ出来ません。

自然から逃れられないから、その範疇でしか施せないです。

日本には同衾用ベットがある医療施設ってないでしょう。

最期に望む際にパートナーと抱き合いながら思いでに包まれながら。

いかに性というものが大事か、オピオイド級の威力です。

男女が慈しみあうという諸外国ならではの自然の二人だけの看取りです。

日本でこれを提唱したら、大変ですよね。風習の違いです。



いつしか人の遺伝子は両端が出来て真核生物になってしまった。

両端はコピーされません。リポゾームがそうしています。

原核生物は環状遺伝子だからそういう事はないでしょう。

今も大腸菌がインシュリンやタミフルの原料シキミ酸を作ってくれてます。

熱水にいる生物の遺伝子を借りてヒトゲノムやフルーワクチン製造を助けてくれてます。



目の前に起きている事が真実ですから、真実だけを見ればいいと思います。

せっかく臨床経験があるのだから、出版社で記事でも書けばと思いますけどね。

何故、コメントが採用されているのか。

アウトローとなれば?と思います。

臨床中に患者さんから「どうも」なんてありがとうと言われてたでしょう?

助けた命、たくさんあったと思います。

その経験を生かした人生もまた、いいものだと感じています。



あなたの文章で救われた人もいるでしょう。

きっと、いますよ。

自信もってもいいんじゃないかな。

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医療とは不自然なもの

寺田次郎 関西医大不名誉享受

その「感じ方」を繰り返したのはわざとです。

読み飛ばしにくくしました。

この連載のキーワードは価値観だと思いますから。



ところで、医療って人為的なものです。

不自然な行為です。

だから、どこまでが自然で、どこからが不自然かを基準にすると判断が恣意的になります。

むしろどこまでが快で、どこからが不快かという発想の方が良いと思います。

おのずと、自分はどの程度の医療を求めるのか考えるようになります。



胃ろうや点滴=悪ではなく、そういったものも含めて医療とどの程度の距離間で付き合うかの問題です。

それを考えてないから、あまりにも不自然な状況に追い込まれるリスクが発生します。



それが「答えは医学にないかもしれない」の意味になると思います。

日常生活と連続している部分が多々ありますので、医学だけで「生命」を完結させるのは無理があります。



こういうオープンな表現の場を与えてもらって、読売新聞さんと宮本先生には感謝しています。

結構きわどい文章もありましたから。

まさか、こんなところで「ありがとう」と言われるとは思いませんでした。

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