医療部発
医療・健康・介護のコラム
マインドフルネスと瞑想

久しぶりに読売新聞朝刊の連載「医療ルネサンス」の原稿を書きました。
8月20日(月)から3回掲載の「シリーズこころ・マインドフルネス」です。
「マインドフルネス」とは、「意図的に、今この瞬間に注意を向けること」を意味する英語。原点は、仏教の瞑想法です。
仏教の瞑想法と言っても、ろうそくの光を静かに見つめたり、宗教的な言葉(マントラ)を繰り返したりして何かに集中し、心を静かにする「集中型」の瞑想ではありません。では、日本の禅の「何も考えず、無になるのだ~っ!」というイメージかというと、それも違います。
この瞑想は、タイやミャンマーなどに伝わる上座仏教(原始仏教、初期仏教)の瞑想法で、「ヴィパッサナー瞑想」と呼ばれます。自分の呼吸や体の感覚、思考、感情などを、ただありのままに観察する「観察型」の瞑想なのです(もちろん、集中もしますが…)。
なぜ、このマインドフルネスを取り上げようと思ったかというと、私自身が日々、いや、正確には「たまに」(苦笑)、この瞑想法を取り入れた座禅をやっているからです。
「公私混同じゃないの~?」とおしかりを受けるかもしれません。しかし、ちょっとお待ちを。
私は数年前からこの瞑想、つまりマインドフルネスを自分なりにやっていましたが、以前は記事を書こうとは思いませんでした。なぜなら、マインドフルネスが日本の医療現場で活用されていない限り、(患者さんの体験を通して病気や治療法を説明するスタイルの)医療ルネサンスでは書けないからです。
しかし、欧米ではずいぶん前からマインドフルネスが注目されてきました。
1970年代後半から米国のマサチューセッツ大学医療センターで、ジョン・カバットジン博士が「マインドフルネス・ストレス低減プログラム」をスタートさせ、頭痛や高血圧、ストレス性胃腸障害、不安障害、睡眠障害、心臓病などの患者の症状軽減に効果を上げてきました。
90年代からは心理療法にこの技術が導入され、「認知行動療法(行動療法)の第三の波」「第三世代の認知行動療法」などと呼ばれています。そして今では、欧米を中心に医療や教育の様々な現場で普及しているのです。
ようやく日本国内でも最近になって、まだほんの一部ですが、マインドフルネスを治療に組み入れる医療機関が現れ始めました。そして、実際に効果を上げています。精神科系の国内の学会でも、マインドフルネスがテーマとして取り上げられることも増えてきました。
機は熟した――。私はそう考えて、この連載記事を書くことにしたのです。
では、具体的にどんな効果があるのかについては、また次回に。

山口博弥(やまぐち・ひろや) 1997年から医療情報部。胃がん、小児医療制度、高齢者の健康、心のケアなどを取材してきた。自称・武道家。
◇
山口博弥記者が担当した連載「医療ルネサンス[シリーズこころ]マインドフルネス」は、下記のリンクからご覧になれます。
(1)うつ病治らず新治療へ
(2)嫌な感情を受け入れる
(3)DV被害の母子をケア
【関連記事】
「非日常」の時間
寺田次郎 元関西医大放射線科
色んな瞑想法があるのでしょうが、一瞬であれ日常から切り離された時間が重要なのだと思います。その目的は普段目を向けないことに目を向けること。内観な...
色んな瞑想法があるのでしょうが、一瞬であれ日常から切り離された時間が重要なのだと思います。
その目的は普段目を向けないことに目を向けること。
内観なんかもそうかもしれないですね。
ところで、母校六甲学院には「瞑黙」という風習がありました。
瞑目ではなく、掲載されてない辞書もあります。
授業などの切り替えに当たって、手を軽く握り、目を10秒ほど閉じるのですが、当時は分かったようなわからないような気分でやってました。
先日インターネットで調べると、校長が「沈黙の時間を持つこと」と言われてました。
ほんのわずかの時間でも外部情報を遮断し「日常から自分を切り離すこと」に意味があるのかもしれません。
そういう意味では、一見関係なさそうですが、布団の中、トイレの中、入浴や旅行も同じようなものかもしれません。
勿論それぞれに主目的はあるのですが、一つの行動は必ずしも一つの意味だけではなく複合的な意味はあるのかなと思います。
「日常から自分を切り離すこと」によって、自分の日常がより見えるとは思います。
つづきを読む
違反報告