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[なぎら健壱さん]下町の息遣い パチリ

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「電線のある風景だって、そのうち見られなくなるかもしれないね」(6月14日、東京都墨田区で)=関口寛人撮影

 「また飲みに行こうよ」「寄っていかないの」――。東京スカイツリーの足元、東京都墨田区にある昔ながらの商店街。少し歩くだけで四方から声をかけられる。「今日は何しにきたの」と聞かれ、「土地を買いに」とおどけて周囲を笑わせた。

 肩に2台のカメラを提げ、古い看板や壊れそうな長屋を見かけるたびにシャッターを押す。ここ数年、仕事が休みで天気のいい日は、必ずこうして町を歩いている。

 初めてカメラを手にしたのは、20歳の時だった。日本各地へコンサートに出かけていたが、旅先では時間をもてあました。そんな時、目にしたのがカメラを手に町を歩く先輩のシンガー、高田渡さんの姿だった。「いい過ごし方をしているなあ」。先輩にならってニコンを購入した。

 その後は、自転車、落語、パソコン、がらくた収集、バイオリン演歌など、旺盛な好奇心の赴くまま、数多くの趣味に没頭。特に自転車にはのめり込み、活用を推進する団体の理事となったほど。だが、最近は自転車にも乗らなくなった。5年ほど前から、再び写真へと回帰したからだ。それにはきっかけがあった。

 最近まであったはずの八百屋が、ある日なくなっていた。下町の町並みが変貌するスピードが、近年、格段に速くなったのに気づいた。消えていくものを追うように、シャッターを切った。撮り続けるほど、町がいとおしくなるのは、若い頃には抱かなかった感情だ。

 好むのは昭和の匂い。ある時、知人から古いものが残っていると聞いて出かけると、江戸期の「庄屋跡」だった。「それよりも、人間の息遣いが残るような風景がいい」。下町は歩くたびに知らない路地に出合い、新しい発見がある。歩いても歩いても、歩き尽くせない。

 「区長になりたい」と冗談を飛ばすほど愛する墨田区は、東京スカイツリー開業で、今、最も様変わりしつつある地域だ。周辺には、高層ビルやマンションも建ち始めた。「消えゆく風景を自分が記録しなければ、という使命感はない。それは楽しくないから」と強調するが、ただの楽しみで撮っているというのとも少し違うようだ。

 「なぎらさん、商店街が死んじゃうよ」と喫茶店のおかみさんが言う。「住んでいる人の暮らしを便利にするために、古いものを壊すのは仕方がないよ。でも、続いてきた人々の生活が消えてしまうような開発は、やっぱり、わたしは気に入らない」。そんな思いを込め、ここ数年は、下町と人を題材にした40~50点を集めた写真展を、やはり下町の江東区で毎年開いている。昨年出版した著書「東京路地裏暮景色」(ちくま文庫)には、かつてあった古い居酒屋が駐車場に変わり、駄菓子屋が更地に変わった過去と現在の写真を並べて掲載した。人の暮らしが消えた「現在」は、どれも見事に殺風景だ。

 写真展を見に来た若い人から「カメラを持って、自分の住んだ町を歩くようになりました」と聞くことがある。世の中が再開発で浮かれている時だけに、それがうれしい。「だって、若者たちが町に関心を持ち、愛してくれたら、こんなにいいことはないよね」。スカイツリーがそびえる空、そのやや遠くを見つめながらつぶやいた。(梅崎正直)

 なぎら・けんいち シンガー・ソングライター。1952年、東京・銀座に生まれ、葛飾で育つ。フォークソングを志し、70年に岐阜県の中津川で開かれた全日本フォークジャンボリーに飛び入り参加。72年、アルバム「万年床」でデビュー。76年、映画「嗚呼!!花の応援団」に出演。俳優、タレント、エッセイストとしても活躍。

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